※手持ち:トウコ→レシラム、N→ゼクロム



変な気分、だった。
白い部屋に入って、明らかに小さな子どもが遊ぶであろう玩具で溢れたあの部屋に入って、カタンカタンとおもちゃの電車が何とも可愛らしい線路を行ったり来たりしている音を、何処か取り残されてしまったかのようなそのカタンカタン、という音の繰り返しを聞きながら、トウコは心の中を一瞬にして白が通り抜けてしまったかのような、酷く空虚な気持ちになっていた。そしてそれと、ほんの少しだけ、ふつと沸き上がったこれは恐怖なんだと思った。

「なに、これ」

カタンカタン、カタンカタン。なんて単純な繰り返しの音だろうか。外れていた小さなレールを繋いでやれば、可愛らしい電車はその新しい道を迷うことなく廻る。

(……これが、彼の世界)

ごく、と唾を呑み込んで、そのままトウコは踵を返して走り出した。今まで感じ続けていたNに対する違和感が弾ける。


最初は、ただ変わった人だなと思った。そして少し怖いと感じた。けれど会う度に、彼に対する違和感はモヤモヤと膨れ上がっていった。
ゼクロムが彼を選んだのは、彼が悪い人ではないから。

そんなことは薄々分かっていた。彼が自分と戦おうとするのも彼が迷っているからに違いなかった。けれどトウコには確信が持てなかったのだ、だから彼と戦う道を選んだ。だからここまで来た。だけど今は。

(N、どこにいるの?一番奥ってどこ?)

息を切らしながら見たこともない城の中を一心に走る。トウコはNと分かり合いたいと思った。Nと一緒に行きたいと思った。それはNの願いを叶えるということではなくて、Nと1つずつ、これから積み上げて行きたいと思った。色々なことを。何でもいい。同じ時間を過ごして、世界はあんなに小さいものではないことを感じて欲しいと思った。そして出来ることなら、隣には自分が居たいと思った。

「N!」

階段を勢いよく上がって、はあはあと肩で息をしながら自分の名前を呼んだトウコにユラリとした足取りでNが近付く。何という温度差だろう。
コツコツと冷たい靴音が響く。

「よく来たね、待っていたよ」
「あのね、N、私、あなたと分かり合いたい。少し話をしようよ。こんなこと、もう止めよう?あなただって分かっているはずでしょう?」
「…どういうこと?君が何を言いたいのかよく分からないよ」
「だからねN」
「トウコ」

静かな拒絶にたじろぐ。分かってもらえないことがひどく悲しい。あの部屋を見てからだ、彼をこのまま放っておけないと強く思う。

「…戦わなきゃ、いけないの?」
「言いたいことがあるのなら、僕に勝ってから言うことだね。今の君の言葉じゃ、僕は止められないよ」
「……わかった、ねえN」
「なに、トウコ」
「私が勝ったら、一緒にカノコタウンに行こう。約束ね」
「………変な人だね、君は」
「約束!」

そう言ってトウコは笑った。明るい未来を夢見て。



***********


「私の勝ちね、N」
「………」
「約束通り、来てもらうから。一緒に。カノコタウン」
「……どうしてだい?僕は、君に、こんなにもひどいことを」
「いいの!それは、これから一緒に居てくれれば!これからのことは、私と一緒に考えて行こうよ。私も手伝う。だから、ね!」

一緒に行こう、そう言ってトウコは俯くNに手を差し伸べて笑った。
そしてNはその手を取る。温かい。重なる手を見てトウコが嬉しそうに笑って、それに釣られてNも笑った。

―けれどこれは夢なんだって、気付いてる。

『済まない、起こしたか?』
「ううん、ごめんねゼクロム」
『また悪い夢でも見たのか?』
「……そんなんじゃ、ないよ」

ゼクロムの遠慮がちな声に答える。しんと静まりかえった森はNに少しだけ気味の悪さを感じさせた。


最近、同じ夢ばかりをよく見る。
あれは、いつだっただろう。城の最奥部でトウコと戦ったのは。レシラムを連れて一心に戦った彼女は本当に強く、結果としてNの理想はそこで幕を下ろすこととなった。

最近幾度となく見る夢は、あの日のもの。ただ、あの日と違うのは戦いの後のことだ。あの日最奥部まで息を切らして自分を追いかけてくれた、優しい彼女が差し出してくれた手をNは取らなかった。

けれど夢の中では毎度手を取ってしまう。それを見て彼女が笑ってくれたことが嬉しくて、自分も笑う。それはきっと、あのとき差し出された手を受け入れていたらどうなっていただろうかという、少しの希望の現れなのだろう。

しかし奇妙なことに夢の中のNはN自身、毎度「これは夢だ」と認識しているのだから、もしかしたら夢だから手を取ることが出来るのかもしれない。そこは何とも定かではないのである。

「………」

Nは自らの右手を開きながら、傍らに横たわるゼクロムに身体を預けた。夢で感じた掌の温もりはもう覚えていない。

『どうするんだ、N』
「どうするって?」
『トウコのことだ』
「……トウコ」

(私が勝ったら、一緒にカノコタウンに行こう)

そう言ってくれた彼女の笑顔と、その後の戦いと、そして「サヨナラ」を告げてしまったときの彼女の泣きそうな顔を思い出す。いやむしろ、泣いていたのかもしれない。
彼女の手を受け入れることが出来なかったのは彼女が嫌いだから、という訳ではなくて、ただ彼女が眩しかったからだった。

『トウコに会いに行かないのか、N』
「……分からないんだ、ゼクロム。僕はトウコに会いに行ってもいい人間なのかどうか」

あの時あの手を取ってしまっても良かった人間なのか、僕には分からないんだ、そう言ってNはゼクロムの身体に顔を埋めた。程無くして落ち着いたのかゆっくりと寝息が聞こえ始める。

(トウコのことが大切なのだな)

ゼクロムは自らの身体を枕にして寝てしまった主を見ながら、そんなことを思って目を細めた。そして主の知らぬところで密かに白き英雄、片割れのレシラムと交信を始めたのだった。

『今、どこにいる?』
『お前か、久しぶりだな、ゼクロム』


**********


はぁ、とトウコは1人、自分の部屋のベッドに浅く腰を掛けて大きく溜め息を吐いていた。心配したのかジャローダがするりと近寄り、モンメンの形をしたクッションを抱き締めて俯いたトウコに身体を擦りあわせる。

「ありがとうね、ジャローダ」

そう言ってトウコは相棒のジャローダの頭を撫でた。キュウ、と嬉しそうにジャローダが声を上げて身体を捩る。
最近ずっと考えているのは、彼のことだった。
あれから数ヶ月は経っているというのに、ここカノコタウンに頻繁に戻って来てしまうのは、もしかしたら彼がここに来てくれるかもしれないという希望がトウコの中でまだ消せないからに違いなかった。あんな小さな約束と言えるのかどうかすら分からないものではあったけれど、自分と彼を繋ぐものなどあれしかなく、トウコは小さな小さな期待をズルズルと引き摺っていた。

(迷惑、だったのかな。やっぱり少しお節介すぎたのかな)

私だけ、だったのかな。
そんなことを悶々と考える。堂々巡りもいいとこだ。つい数分前も同じことを考えていたというのに。ぐるぐると同じところばかりを辿って、まるでおもちゃの電車のようだ。
「私だけ」というのは、トウコ自身、旅の途中で幾度となく会うNに対して興味を持っていたということである。またNもトウコに対して興味を持ってくれていたような素振りを見せていたし、少なくともトウコにはそんな気がしてしまっていたのだ。
けれどNは自分と来てはくれなかった。自惚れていただけだったのだろうか。

(もっと話をしてみたいと思ったのは、私のほうだけだったのかな)

ぎゅう、と強くクッションを抱く。モンメンの形をしたクッションが少しだけ歪な形になった。
会おうと思えば会えるのかもしれない。探していないと言えば嘘になる。けれどまた、あの時のように拒絶をされてしまったら…?そう考えるとトウコの足は止まった。そして未だにこの現状から動き出せないでいるのだった。

けれどそれでもまだ待ってしまっているのは、あの日「サヨナラ」を言った彼の方も自分と同じように泣きそうな顔をしていたということだ。別れ際に見せたその表情がずっとトウコの中で燻っては、思い出したかのようにじりじりと心を焼いていた。

「!」
「ジャローダ?」

ピクッとジャローダが何かに反応したかと思うと、次の瞬間ズドンという振動がトウコを襲った。腕がピリピリする。

「な、何?!」

慌てて立ち上がりトウコは階段を掛け降りた。ピリピリとした痛みが指先に移動していく。
階段を慌てて降りていくトウコの腰でマスターボールが揺れているのをジャローダは見逃さなかった。そして何かを感じてふっと目を細めると、少しだけ間を置いてから主の後に続く。


階段を掛け降りた勢いそのまま大袈裟にバタンと玄関のドアを開けると、飛び込んで来た光景にトウコは息を呑んだ。

「ーー!!」

声にならなかった。
目を開いて少しだけ固まる。葉が数枚ヒラリと自分の目の前を通りすぎていくのが、やけに長く感じた。
真っ黒なボディの大きなポケモンと、緑色の髪をした青年がそこに立っていた。

「……N?」
「…トウコ」

名前を呼ぶと申し訳なさげに返事が返ってくる。Nは笑っているのにどこか泣きそうな顔をしていた。すっと視線を地面に落としてNが続ける。

「ごめんね、来てもいいのか……随分、迷ったんだけれど」
「……」
「君はもう僕に呆れてしまったかな?」

どこか自嘲気味にそう言う彼に胸の奥がキュンと縮む。足が震えて上手く言葉が出てこない。

「あのねトウコ、随分と自分勝手な話だと思うのだけれど…、僕は」

そこまで言って、Nは帽子の鍔を掴んで言葉に詰まった。すると傍らに居たゼクロムが彼の後押しをするようにそっと彼の背に自分の顔を当てる。
その行為に小声で感謝の意を告げてNは彼の頬を撫でると、また話し始めた。

「考えていたんだ。長い間。僕はどうしたいのか、どうすればいいのかって。けれど、けれどその度に君の顔が浮かんで、だから」

しどろもどろになりながら話していると、えぬ、と絞り出すようにトウコが彼の名前を呼んだ。それを聞いてNが驚いたようにえっ、と声を漏らす。

「あのね、N、ありがとう。来てくれて嬉しい。待ってた。あの日から、ずっと。来てくれるって思ってた」

ゆっくりと噛み締めるようにそう言って、トウコは泣きそうな顔をしてへへ、と笑った。目の下が少し赤い。
その笑顔を見てぐっと込み上げる何かに喉の奥が詰まる。目頭がかっと熱を帯びてNは少しだけ眉間に力を入れた。目の前にあの日息を切らしながら自分を追いかけて来てくれた彼女がそのままそこに居たのだ。嬉しさが込み上げて仕方がない。

「ありがとう、トウコ…ありがとう…。僕は、僕は君と一緒に行きたい。色々な所に。連れて行ってくれるかい…?君となら見られる気がするんだ、今まで見たことのないものを、沢山」
「もちろん!」

彼の普段の口調からは想像も出来ないほどの詰まり詰まりの言葉に、彼の新しい一面を見た気がしてトウコは嬉しくなった。やけに言葉が弾む。

「一緒に行こう!」

トウコはくしゃっとした笑顔を浮かべてそう告げ、またあの日と同じように手を差し出した。まるで何かの戯曲のようだ。次の台詞なんてとっくに決まっている。

「うん、君と、一緒に行きたい」

Nはあの夢のようにその手をぎゅっと握った。温かい。自分より一回りも小さなこの掌は、何て力強くて心地好い温度をしているのだろう。ふっと目を細めれば彼女も同じように笑い返してくれて、初めて感じる温かさに思わず目が眩んだ。

「キュッ!」
「わっ、ちょっ、ジャローダ?」

今まで事の顛末を後ろで静かに見ていたはずのジャローダが突然トウコをつついて押しだした。トウコはその力に押されてよろよろとよろめきながら歩を進める。そして手を繋いでいる為、必然的にNもトウコと同じ方角に歩を進めることとなった。

わっ、ジャローダどうしたの、と明らかに動揺するトウコを無視してジャローダはトウコをズイズイと押していたが、とある場所でスルリとその身体を離した。

「ジャローダ一体どうしたっていう………、!!」

言葉を失ってその場に立ち尽くす。目の前には1番道路。そうつまり、そこは。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

(トウコ、こっちだよ!)
(ベルが旅を始めるなら最初の一歩はみんな一緒がいいって)
(ねえトウコ!みんなで一緒に1番道路に踏み出そうよ!)
(じゃ行くよ!)
(せーの!!)

そうそこはあの日、幼馴染みのチェレンとベルと始めの一歩を一緒に踏み出した場所だった。全ての始まりを、何もかもがバラバラの三人で。

ふつりふつりと蘇る記憶に感情が溢れ出して、トウコは隣にいるNの名前を呼んだ。そしてこの場所についてポツポツと話し始める。遠くを見つめた瞳は感慨深そうに細められて、懐かしさを湛えていた。

「あのね、変な話かもしれないけど、私、今は、あの旅はきっとあなたに会う為の旅だったんだって思ってるの」
「……」
「ふふ、変な話でしょ?ごめんね。でも、そんな気がするの。旅を始めて、本当に良かった。あなたに会えたもの」

そう言ってへへ、と照れたように笑ってNを見ると、目深に被った帽子の隙間から彼の顔が赤くなっているのが見えて、トウコは途端に嬉しくなってしまった。

「ありがとうトウコ、僕、君に会えて本当に嬉しい。ありがとう」
「ふふ、私も嬉しい。ありがとう、N」
「え…、どうしてだい?僕はそんな感謝されるようなこと、何も…」
「ううん、そんなことない。ここまで来てくれて、今この場所にこうやって一緒に立って居られることが嬉しいの。私はね。だからありがとう、だよ!」
「…君はやっぱり、変な子だね」

そう言ってNはふふ、と困ったように笑った。彼の帯びる雰囲気が出会った当初とは違って仄かに柔らかい。

「そうだ!ねえN、ここからせーので一緒に踏み出さない?いいでしょ?私たちの新しい旅の始まりだから!」

ね、とトウコが隣に立つNの顔を覗き込むとNが優しく笑った。それはつまり肯定の合図。

葉がさわさわと揺れる。あの日と同じようだ。

―これから一緒に色々なものを見て行こう。沢山のポケモンと沢山の人、個性に溢れる色々な街、森、河、海。
色を変える季節に沢山の景色を。


そして数え切れない想い出を重ねて行きたい。彼と私で。

これから、探しに行こう。
私とあなたの旅を、そして旅の答えを。

「せーの!!」

トン、と大きさの違う靴がふたつ地面を蹴って、まっさらな土へと踏み出した。




スタートライン



はじまりは、ここから。



120102



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少し修正しました。

つづきかきたいなぁってずっと思ってます。(笑)









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