“クラウド、私たち、お願いがあるの”



遠く、聞き慣れた声が聞こえた気がして、俺は呼ばれるように目を覚ました。つい先程の微睡みとは違い、そこには見慣れた明るい天井があって、差し込む光の眩さに眉を顰める。今何時くらいだろうか。身体を起こすと、教会の床板がぎしりと独特の音を立てた。

ここに寝泊まりしたのは、いつぶりだろう。自責の念に捕らわれていたあの頃の自分が、もういない訳ではないのだけれど、今は幾分かあの頃よりは、彼らの、彼女らの想いを受け止められるようになったような気がする。そして今日は、約束の日なのだ。
憧憬の念を抱いて止まない、彼女と、彼との。
時が、巡る。

「クラウド」

ギィ、と木製の扉が遠慮がちに開き、数日ぶりの幼馴染が扉の向こうから顔を出した。俺を見つけて声を発した彼女は、そのままゆっくりとした足取りで俺に近付く。

「やっぱり、ここに居たんだ」
「ああ…うん」
「ふふ、何となく、そうだと思った。相変わらず、ここはとても綺麗ね」

そう言ってティファは俺の前で足を止めて、教会をぐるりと見渡した。床板の軋む音がやけに大きく聞こえる。

「お花が、沢山」

そう。今やこのスラムの教会は、教会一面に花畑が広がる場所となっていた。扉を開ければ鮮やかな花がここぞとばかりに咲き乱れており、それを一目見ようと、沢山の人が訪れるようになっていた。扉を一枚隔てた異世界に、一体どれほどの人が、どれほどの子どもたちが、笑顔になっていったのだろう。その光景を思い出して、俺はとても穏やかな気持ちになった。これもきっとあの彼女と彼の力、なのだろう。そんなことを思う。

「クラウド、今日よね?約束の日。もう行くの?」
「ああ、そろそろ出ようと思う。一緒に…」
「私も、一緒に行く」
「…ああ」

芯のある声でそう言った彼女に、俺は肯定の意を示す。そして目の前に差し出された手を取った。温かい。そして何とも眩しい世界だ。優しく微笑む幼馴染の後ろでは、天井から斜めに差し込む光が、幾つも白く反射していた。


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“クラウド、俺たち、お願いがあるんだ”


そう二人に言われたのは、いつのことだろうか。否、そう言う二人を夢の彼方で見たのは、いつのことだっただろうか。もちろん、本当に彼らからの言葉なのかは分からない。明確な確証だって勿論無い。けれど、何となく、俺には彼らからの言葉だと思ったのだ。朝起きて頬が濡れていたのは、きっと、彼らに会ったからなのだと思うのだ。


“クラウド、俺たち、もう行かなくちゃならないんだ”
“うん。クラウドはもう、一人じゃないでしょう?もう私たち、心配なんか、してないんだよ?”
“ああ。クラウドにはもう、沢山の仲間がいるんだもんな!”
“それでね、クラウド、私たち、お願いがあるの”
“ね、私たちのお願い、聞いてもらえない?”


規則的なエンジン音を響かせ、フェンリルは颯爽と平地を走っていた。砂埃が舞い上がり、来た道を伝えていく。後部座席に座るティファの手には、大きな花束と、大きな花籠があって、俺はそれを案じながら目的地へと向かっていた。

「もうすぐだね」
「ああ」

唸るエンジン音に被せながら会話をしていると、ふと、ティファが少しだけくぐもった声で言った。

「…ちゃんと、しなきゃね」

小さくそう聞こえた後、すっと背中に彼女の重みが掛かった。そんな彼女に向かって「そうだな」と小さく答えれば、消えゆくような「うん」という返事があった。彼女もきっと、沢山、俺と同じくらい思うところがあるのだろう。だって二人は、それまでに、俺たちの中で、今でも大きな存在なのだから。



********************


“私たちのところにね、手向けて欲しいの。お花をね”
“ああ、何ていうかさ、俺たちの旅立ち、に”
“うん。それでね私たち、それをクラウドにやって欲しいなって、思って。お花を育てて、私たちのはなむけにしてくれないかな?そしたら私たち、とっても嬉しいから!”
“ああ、それが俺たちの願いなんだよ。クラウド。やってくれねーかな?お前に見送ってもらえれば、俺たち、旅立てる気がするんだ!”
“お願い!”


夢を見た日は、動けなかった。彼らの願いを、叶えたいと思った。俺の願いは紛れもなく、彼らの願いを叶えることだった。けれど、胸が痛んでどうしようもなくって、だって。
だってそれは、彼らが“還ってしまう”ということなのだと、俺は気付いていたから。命の流れに乗ると、そういうことなのだと。彼らの命が、巡っていくのだ。
新たな、流れへと。

それを思い知って、俺は暫くの間、夢の中で彼らに返事が出来ずにいた。しかし躊躇する俺の背中を優しく押してくれたのは、紛れもなく、生きている、彼女だったのだ。

気付けばいつも隣にいてくれる彼女をふと思い出して、二人の意思を汲みたいと思った。
そして俺は、ようやく肯定の返事をする。喉の奥から声を出すのはこんなに難しかっただろうかと思うほどに掠れたそれは、けれど確かに二人に届いていたようで、にこりと不格好に笑いかければ、俺が笑ったことに安心したように、彼らが酷く優しく笑い返してくれて、俺は。
俺は、なんて。
なんて、大切にされていたんだろうと思った。なんて、大切にされているんだろうと。
今でも、こんなにも。
この世界でもう、相まみえるはずのない、二人にまで。

俺は何て、幸せ者だったんだろうね。



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「随分と久しぶりだな…ここも」
「そうだね」

俺たちは丘へと辿り着き、フェンリルを降りた。悠然と立つ大きな剣は、近付くに連れてその傷の多さを露呈した。ふと空を見上げれば雲一つない青で、太陽が肌を焼いた。旅立つのに、良い日だ。

「クラウド、大丈夫?」

横に立って暫く静かに剣を見つめていたティファが、俺に振り向いて声を掛けた。その表情に頷いて返事をして、ティファを促す。
ゆっくりと砂を踏みしめて歩いた彼女が、丁寧に大きな花束を剣の袂へと置く。殺風景だった景色が、一瞬にしてぱっと華やいだ。まるで世界に灯る灯のような、“彼”のようだと思った。


「おまえ、なかなかやるな」
「ははは!悪かった。ムリすんな!」
「またいっしょに働けてうれしいよ」
「お前が俺の、生きた証だ」


俺は彼の分まで生きているだろうか?
彼の意思を継いでいるだろうか?
彼を失望させていないだろうか?
彼の生きた証に、なれているだろうか?


思うところは沢山あって、彼の剣を前にして視界が歪んだ。俯きそうになるのをぐっと堪える。温かな人だった。本当に、彼のようになれたらと、思っていた。今でも、これからも。ずっと。

すっと左手に温かさを感じて視線を遣ると、ティファが右手を重ねていた。温かい。顔を見せれば優しく微笑んで、俺の肩に頭をそっと預けた。重みが、心地いい。


“クラウド、ね、泣かないで”
“俺たちの、新しい旅立ち、なんだからさ”
“そう、新しい旅立ち、だよ”


丘を出発して、約束の終着地点である、深い森の奥の湖を訪れる頃には、すっかり暗くなっていた。気の済むまであのまま寄り添ってくれた彼女が居てくれて、本当に良かったと思う。心の中で隣に立つ彼女に感謝をしながら、俺たちは湖へと近づいていく。ここはずっと変わらない。水が全てを吸収しているように静かで、寒い。

大きな花籠一杯に持って来た花を、二人して湖に浮かべると、それはさながら睡蓮のように浮かんで、色鮮やかな花畑を作った。澄み切った空気が満ちたここは、以前と変わらずに神秘的であったので、突如現れた可憐な花畑はとても異質だった。けれど俺は、これでいいと思った。否、これがいいと思った。
だって“彼女”は、とても可憐な人だから。

「クラウド!」
「あのときは、お花、買ってくれてありがと」
「せっかく、こうしてまた、会えたんだし…ね?」
「じゃあねえ…。デート、一回!」

ぷかぷかと浮かぶ鮮やかな花畑を見ながら思う。彼女のこれからの旅路が、良いものであるようにと。彼女が自分を支えてくれたように、自分も彼女の力になれれば良いと。それは花を育てていた時も常に思っていたことだった。

花を育てること。それは二人の願いを叶えようと、教会の片隅で小さく始めたことだった。しかし、それはいつの間にか教会一面に広がる花畑となり、人々の笑顔を作り出した。生前の彼らがそうだったように、周りを明るく、笑顔にしてゆく。
巡って行く。繋がって行く。継いでいく。彼らを、彼らの強さを。命と、命の強さを。

随分と遠くへ来てしまった。随分と遠回りをして、二人を付き合わせてしまった。けれど、俺の願いはいつだって二人の願いを叶えることだ。
だから。

「どうか、二人の旅路の先が、明るいものでありますよう」

「さようなら、ザックス、エアリス」

「ずっとずっと、ありがとう」

少しずつ沈んでいく鮮やかな花々は、トプン、という音を残して透明な世界へと消えていった。
少しだけ見えた緑色の光は、命の流れ、だったのかもしれない。




Farewell gift



彼らの旅路に、幸多からん事を。






20140212





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2014 Aerith's Birthday 
「君に会いたい」様 寄稿










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