ただ、取り繕うように見上げた、空だった。



「クレア?」

オレンジ色の髪が色素を抜かれて太陽光を透かす。その眩しさに眉を潜めれば、寝ていたの?と聞かれた。寝てないわよ、と私は心の中で思ったけれど、彼がやけに穏やかに微笑んでいたから、そのまま言葉を呑み込むことにした。

「グレイ、どうしたの?こんなところで。マザーズヒルに来るなんて珍しいじゃない。修業は?」
「あー、いいのいいの。ちょっと休憩」
「あはは、なにそれ」

頑張んなさいよー、と笑い声交じりに言う私の隣で、かさりと草の擦れる音が聞こえる。それをグレイも私と同じように寝転んだんだなぁと何となく思いながら、私は薄く開けた瞳を再度閉じた。

そよそよと吹く春風が頬を撫でる。ぽかぽかとした日差しがなんとも心地良い温度だ。彼もきっと、この思いを共有しているのだろう。そんなことを思うと、私の顔は自然と綻んだ。

「クレア」
「なに?」
「あのさ、最近、何かあった?」
「え?」

突拍子な質問に目を見開くと、思わず目前に青色が広がる。雄大に広がるその青を吸うように一呼吸置けば、「何もないんならいいんだけどね」と右側から声が聞こえた。ああ、なんて今日は綺麗な青空だろう。

「なにそれ、何かあったように思う?」
「ううん、そういう訳じゃないんだけど。なんか最近クレア…」

と、そこまで聞こえてから、微かに遠くから聞き覚えのある声が聞こえた気がして、私は隣のグレイを思わず見遣った。明らかに表情が固まっている。言葉も途切れたところを見ると、ああ、これは。

「ちょっとグレイ…休憩なんじゃなかったの?」
「や、これは」
「呼んでるわよ、サイバラさん」
「う」

潰れたような声を出したグレイは、すぐさまパッと上体を起こしてそのまま私の手を取った。その行動にびっくりして彼を見上げると、「逃げるよ」とでも言わんばかりの表情で私を見下ろしている。

「え、ちょっと何するのグレイ。私サボりの片棒を担ぐのは嫌よ」
「ごめんすぐ戻るからさ、ちょっとだけ来てくれない?」

そう言い終わるか終わらないかの内に、グレイはぐいっと私の手を引いた。わっ、と声を上げた私は立たされた勢いのまま引っ張られながら走り出す。遠くでサイバラさんがグレイを呼ぶ声が聞こえたけれど、次第にそれも聞こえなくなってゆく。


---マザーズヒルの頂上だ。

はあはあと両肩で息をしながら、私は繋がれたグレイの手を見た。ごつごつしていて、まさに鍛冶屋の手だ。修業を頑張っている彼が否応にも垣間見えて、嬉しいような、誇らしいような、けれどたった今その師匠であるサイバラさんが彼を呼ぶ声を無視してしまったのが後ろめたいような、そんな気分が綯交ぜになって、私は今とても変な顔をしているんだろうな、なんて思った。

「ねえクレア」

彼は私の名前を呼んだ後、言いにくそうに視線を落として少しだけ間をあけ、それから続けた。

「俺じゃ、頼りないかな?こんなんだけど、何かあったなら言ってほしい。もしそれが俺のせいなんだとしたら、直したいし。家族ってそういうものなんじゃないかなって、俺は思うからさ」

そう言って真っ直ぐな瞳で見つめられる。視線が痛くて、私は思わずたじろいだ。どうして分かってしまうのだろう。こんなことばかり気づく彼は、何だかとても狡い。

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「好きです、クレアさん」
「俺と、結婚してください」

「はい」

そう答えたあの日から、私たちは夫婦になった。けれど私には本当は、とてもとても不安があって、その不安は日に日に大きくなっていった。

家事はうまくこなせているのかな?
料理は口に合っているのかな?

あなたに相応しい人に、なれているのかな?


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「ねえグレイ、私はね、幸せなんだと思うの。毎日毎日。それがね、あなたも一緒ならいいなって、思うの」
「俺、幸せだよ。多分、クレアが思ってるよりも」
「そう?」
「だってあの“クレアさん”が今、俺の隣にいて、家に帰ったら迎えてくれて、約束がなくたってこうやって一緒にいられて。まあ今日は俺のワガママみたいなもんなんだけど。でも、こんなに幸せなことはないよ。俺には」
「そう?」
「うん」
「料理、ちゃんと美味しい?」
「美味しいよ」
「家事とか、不満はない?」
「んー、特にないかな」
「…私は」
「ん?」
「私は、グレイの言う“クレアさん”になっているの?」

そこまで言って、私は視線を地面に落とした。お気に入りの赤いスニーカーが視界に入る。何てことを言ってしまったのだろう。彼と繋いでいる掌が汗ばんでいるのに今更ながら気付いて、自分の余裕の無さに苦笑した。

「…私で良かったの?」

ああどうしよう。こんなことを言いたい訳ではないのに。どうしても口をついて出てしまうのは不安ばかりで、苦しい。

「あのね、グレイ、私ね、あなたがどうして私を選んでくれたのか、分からないの。まだまだ、未だに、自信がなくって…」
「…」

グレイの視線が痛いくらいに私に注がれているのが分かる。けれど私は視線を上げることが出来ずに、繋がれた右手ばかりを見ていた。怒って、しまっただろうか?それとも、呆れられてしまっただろうか?
そんなことを考えていると、急に繋がれた右手をぐっと引かれて、私は思わず顔を上げた。

「...ふ、あはは、なんて顔してんの」

視界に入って来た彼は思いもかけず穏やかに笑っていて、瞬間、ドクンと胸が高鳴った。両頬がかっと熱を帯びて、私は思わず顔を背ける。

「ちょっ…なによ、もう」
「ごめんごめん、なんか、可愛いなぁと思って」
「な!人の話聞いてた?今結構、真面目な…」
「聞いてた聞いてた」

グレイは私の言葉の最後に被せるようにそう返して、私の言葉なんて耳に入ってるのか入っていないのか、にこりと目を細めながら続ける。

「俺はクレアがいいの。クレアが好きだから、だからなんでもいいんだよ?」

ざあ、と吹いたマザーズヒルの風は、頂上に降り立つグレイと私の間を、時を止めるようにゆっくりと吹き抜けていく。

「俺にだってクレアにだって、足りないところはあるでしょ。でもさ、それは二人で埋めていけばいい話だと思う。俺は、ね。そう思うから。だから、クレアもそうだったら嬉しい」

真っ直ぐにそう言われて、不意に視界が揺れる。

(ああ彼は本当に、どうしていつも、私の不安なんてすぐに飛び越えて来てしまうのだろう)

そして私はすっと首を僅かに動かして、目の前の青空を見上げる。そう。


例えば、取り繕うように見た空だった。あの時も、今と同じように空を見たんだ。「はい」と答えた私に、「よかった」と言って安心したように笑った彼がとても儚げで、どきりと胸が高鳴った。呼応するように滲む視界に、慌てて彼から視線を外せば、飛び込んできた広大な青に、絨毯のような白が浮かんでいた。

そう、あの日と同じ青だ。私たちが夫婦になった、あの日と。

「グレイ、ごめんね。それと、ありがとう」
「いやいや、どういたしまして」

そう言って、素直じゃない私を、こんなにも素直な彼が受け止めてくれる。ああ、本当にまるで奇跡のような話だ。

「ね、ていうかクレア泣いてる?」

そんなことを思っていたら、ねぇ、と彼が私と青空の間に割って入ろうとするので、私はそれを体勢を変えながら避けた。そういうところはほんとに、分かってない!と思う。

「うるさい。泣いてない」
「泣いてるでしょ。ほら」
「わっ!ちょっ引っ張……っ!」

ぐっと腕を引かれたかと思うと、ちゅ、と触れるだけのキスが落とされて、一瞬事態が飲み込めずに硬直した。ぐるぐるとした思考の中、状況をぽつりぽつりと把握するにつれて頬がかっと焼けるように熱くなる。

「これからもよろしくね、俺の奥さん」
「!!」 

悪戯っぽい笑みを浮かべてグレイがそう言うので、彼は一体いつからこんな顔をするようになったのだろうと少し思いながら、私はもう彼に捕らわれてしまったのだろうと何となく思った。



あおいとりかご








20140118



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とてもお久しぶりの更新になります!はい!おおよそ2年ぶり!(笑)
それがまさかのこんなグレイですみませんっていう(笑) 
幸せの青い鳥の羽根を渡してプロポーズってロマンチックですよね!











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