刀とは、総じて何かを奪うものであると、思う。



「暑い。」

燦々と降り注ぐ太陽光が白肌を焼いて、着物が肌に貼りつく。少し前に顕現したばかりの俺、鶴丸国永は身に余る暑さに独りごちた。
主によると、今は季節で言えば春から初夏辺りだという。この時期は田植えなるものをやるらしく、本日はいつもとは違い、本丸の非番の者は全員、田植えに駆り出されているのだ。

一歩進むごとに、長靴が泥の中にずぶずぶと沈む。歩くのでさえ一苦労だ。

まあ実際、主も含め、昨日一昨日と本丸の皆で順番に機械を使ってあらかた植えてしまっていたので―――あれはなかなかに楽しかった、蜂須賀が意外と上手だったことは驚きだったが―――残すはその機械の届かなかった場所を植える作業だけだったのだが、この本丸は刀剣がほとんど揃っている大所帯であったため、田自体の数が多かったのである。したがって機械の手の届かない場所の多いこと。まさに驚きだ。

俺の一列前では先程から光坊がせっせと苗を植えており、「格好良く決めたいよね」が口癖の彼が、タオルを首から下げ、ゴム手袋をし、泥だらけの服に、長靴を履いて作業している様は何とも不自然で、俺は違和感にじくりと喉奥を刺される。まるで人の子みたいだ、という言葉がせり上がって、不快感にぐっと喉を閉めた。

「ちょっと鶴さん、体調悪そうだけど大丈夫?」

余程変な顔をしていたのか、光坊が振り返って俺にそう声を掛けた。

「少し休んできても大丈夫だよ。鶴さんは顕現したばかりだし…。ほら、向こうの木陰で短刀のみんなも休んでいるから」

最近急に暑くなってきたからね、と続けた光坊の指差す方を見ると、薬研と乱、五虎退が木陰に座って水を飲んでいた。皆、泥だらけで疲れているようだ。視界の端で、三日月と鶯丸が長谷部に怒られているのがちらつくが、まあ、それには触れないでおく。

「……」
「さっきからずっとお茶してたからね、あの二人」
「…みたいだな」

そう思ったが、光坊が触れてしまった。

「いやなに、少し暑さに参ってただけさ。俺はまだやれるぜ」
「そう?ならいいんだけど、熱中症にはくれぐれも気を付けてね」
「ああ」

心配性の光坊にそう返事をして、俺はもうひと頑張りしようとうん、と腰を伸ばしたところで嫌な予感がした。うん、こいつぁ驚きだ。腰をやられた。

「…光坊」
「ん?どうしたの鶴さん」
「…腰をやられた」
「え!?」
「動けん」

狼狽えた光坊が、伽羅ちゃーん!と、休もうと田を出ようとしていた伽羅坊を呼び止め、俺は二人に連れられて何とか田を抜け出すことに成功した。恩に着るぜ、光坊、伽羅坊…。
周りの刀剣の視線が痛い。



――――――――――


ホウホウと、遠くで鳥の鳴く声がする。あの面妖な鳴き声は雉鳩だろう。もうずっとずっと前にも、同じ鳴き声を聞いた気がする。それがいつだったのか、もう遠い記憶すぎて思い出せないけれど、あの頃と変わらない鳴き声が、ひどく懐かしい。

あれから俺は暫くの間木陰で腰を休めていたのだが、退屈で死んでしまいそうだったので、今、田の一番端の列をゆっくりと植えていた。
ここなら田の中に入らずとも植えられるし、ほとんど座り込んでいればいいので、腰にそこまで負担はかからなかった。

隣の田では、長谷部が他の刀剣たちの二倍くらいの超スピードで苗を植えていて、素直に俺は「あいつすごいな」と思った。さすがの機動力である。少し離れたところで宗左が如何にも面倒くさそうな目で長谷部を見ているのが伺えるが、大方、泥が跳ねるので迷惑している、とかそんなところだろう。現に皆、長谷部の周りを避けている。それが何だか笑えた。


手に取った大房の苗から、植えるだけの分、五本ほどを毟り取り、これを濁った泥の中へと植える。すると水面にピンと緑色の苗が立った。ゆらゆらと、風に揺れる。その様は何とも心許無い。

(けれど、生きている、のだなあ)

苗の下には種があって、そう、生きているのだ。

(俺は今しがた、命を、植えたのだな)

儚げに揺れる苗の横を、アメンボがするすると泳いでいく。泳いだ跡の波紋が光を浴びて、所々きらきらと光った。ゲコゲコと何処かで蛙が鳴く。

―いのちを植えている。
―生きていくためのいのちを、植えている。
―この俺が。

手に持った苗を見る。このまま植えなければきっと枯れてしまうだろう。死んでしまうだろう。けれど先程自分の手で植えた苗は立って、生きている。これから生きて生きて、米になるのだ。そしてそれを、俺たちは食べるのだ。

瞬間、何とも言えない居心地の悪さに驚く。ドクドクと心臓が早鐘を打って気分が悪い。死装束を纏い、墓土の匂いの取れないこの身で、命を植えているなどと。面妖すぎて殊更可笑しい。
刀とは、総じて何かを、奪うためのものだ。何も生み出したりはしない。ましてや、いのちの輪、などと。
冷や汗が一滴、こめかみを流れた。

「国永!」

どんっと後ろから衝撃が掛かる。パチンと思考が爆ぜて、視界がちかちかと瞬いた。声からしてどうやら貞坊、つまり太鼓鐘貞宗が俺の背に飛びついてきたようだ。いや、貞坊。俺は腰が痛いんだが。

そんなことは知ってか知らずか、貞坊は俺の背に抱きついたまま、弾んだ声で話し始める。

「国永何してんだ?サボり?」
「…何を言う、サボってなどいないぜ?俺だってやるときはやるのさ」
「でも全然手が動いて無かったぞ?」
「ちょっと考えごとをな」
「ふぅーん」

そう言って身体を離した貞坊へと振り返れば、服だけでなく、顔にまで泥が付いていた。不意打ちに笑いがこみ上げる。

「っはは、泥だらけじゃないか」
「ああ、あっちで厚と蛙を追っかけてた」

そう言って貞坊は泥だらけの顔でニカリと笑った。屈託のない笑顔が眩しくて、俺は思わず目を細める。嗚呼、まるで。

(人の子の、ようだ)

違和感が、せり上がる。

「あ、やば!歌仙さんだ!」

途端に慌てだした貞坊の視線を追えば、遠くに何やらキョロキョロと辺りを伺っている歌仙の姿が見えた。確か、貞坊は歌仙と同じ田で作業をしていたはずだ。

「さっき蛙を追っかけてたときも怒られたんだよー。俺、行かなきゃ!じゃーな、国永!」

バツが悪そうに苦笑しながら足早に戻ろうとした貞坊が、あ、と思い出したかのように振り向いてこう言った。

「なあ国永って、太陽のにおいがするな!」

衝撃に、キュッと金色の虹彩が収縮する。咄嗟に反応が出来ず、目を開いたまま声の出せなかった俺に、貞坊はニッと笑って手を振った。俺はその様子を見ながら少しの間、その場に固まっていた。




ホウホウ、と面妖な声で雉鳩が歌う。
顔を下げると、纏っていた白装束はいつの間にか泥だらけで、田植えの為に捲くっていた腕は、太陽に焼かれて少し赤くなっていた。思い出したかのように腕がヒリヒリと痛む。

―こいつぁ驚いた。

これではまるで。



「鶴さん!」

ガッコガッコと泥だらけの長靴を鳴らし、畦道を歩き辛そうにしながら光坊が近付く。

「あれ、貞ちゃんは?」
「どうやら歌仙に見つかったらしくてな。先程戻って行った」
「そうなんだ。歌仙さんかぁ。あはは、それは早く戻ったほうがいいね」

光坊がそう言ってくすくすと笑う。それに釣られて、俺も笑った。

遠くで、田植えに勤しむ皆の声が聞こえる。

「なあ光坊、俺たちは本当にここに顕現したんだなぁ」

心のままに言葉を紡げば、そうだね、と光坊が返す。優しい声音に、今、刀のような鋭さは無い。けれど俺はそれに、もう不快感は感じなくなっていた。

「まあでも、不思議な感じだよね。僕らが、今ここにいるなんて」
「ああ。本当に、この俺の刀生一番の驚きだ」

俄かにきらきらと輝き始めた視界と、ふつふつと沸く胸の高鳴りに、喉の奥の違和感が弾ける。

「ははは!まるで、人の子のようだなぁ!」

すうと空気を吸えば、身体が膨らんで、酸素を取り込む。息をする。
この二本の足で立ち、蹴り、行きたいところへ、そうどこまでも駆けていけるのだ。

途端、グゥと腹の底から音が鳴る。

「あはは、鶴さん、お腹空いた?」

空腹の音を聞いた光坊が、笑いながら俺にそう言った。

「どうやらそうらしい。人の身体というのは難儀だな。そう思うと途端に腹が減ってきた」
「ふふ、そんなものだよ。そろそろいい時間だし、お八つにしようか。運ぶの手伝ってくれるかい?」

光坊がそう言って優しく目を細める。

「ああ、任せてくれ!」

俺はニッと笑いながら返事をする。そして目の前の大きく育った後ろ姿を追いながら、俺は一人、これからの生に胸躍らせるのだった。




刀とは、総じて何かを奪うものであると思う。
ましてや一度常世を垣間見たこの身、何よりも死に近いと思っていたし、呼ばれれば直ぐに逝こうと思っていた。今でもそれは変わらない。
けれど俺は、いつだっていきたかった。自分の足で、駆けていきたかった。感じる全てを、感じてみたかった。あらゆる意味で、生きてみたかった。

そして今、俺は何の因果か、血肉を得ている。奪うだけの刀の俺が、今確かにいのちの輪の中に組み込まれている。何て素っ頓狂な話だろう。そして、何て愛しく、素晴らしいことなのだろう。

これから俺は、出会ったことのない、驚きに出会っていくのだろう。そしてその度に俺は心が震えるに違いない。
そう、それはまるで、人の子のように。
水を得た、魚のように。


如魚得水



170527


顕現して間も無い鶴丸が刀の自分と人の器との違和感に葛藤しながらも、びっくりじじいになるまで。
鶴丸はもともと、とても感受性豊かで人間らしいのかなと思って書きました。身体を得たからこそ、本来の自分を出せたのかなと。
本当は人間のように歩いたり、走ったりしたかったのかなと思います。

伊達組とか言ってからちゃん一瞬ですみません…








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