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余韻

先日行った仙台の余韻を楽しんでいる。
私って思い出をスルメのように楽しむ癖がある。子供の頃から寝る時、その日の朝起きてから寝るまでの出来事を詳細に辿るという、牛さんが食べ物を数個の胃で反芻するような癖を持っていた。反省の塊とでもいうか。
そういえば関係ないけど小学生の頃、給食2時間後、授業中、前の奴が振り向き給食で出たウィンナーを口からニュッと出して見せたという「驚愕の反芻事件」というのがあったな。
話を戻す。先日の修行で気づいたというか閃いた教訓がある。「同じ過ちを繰り返さない」「何でもないようなことが幸せ」。当たり前のことですが、私にとっては非常に重いことば。前者は、歴史が「悪いこと」(その概念は曖昧だが)を繰り返していることからもわかる。反省しても同じ過ちは繰り返されやすいのだ。これを繰り返さないようにできるならばそれは凄い財産になる。なにせそうなると起こす過ちは毎回初めて起こすような過ちとなるから、その後の人生、過ちが格段に少なくなり、暮らしがハイウェイで遠出できるというような快適なものになるから。あと後者「何でもないようなことが幸せ」に気づくことはあたかも「病気になって初めて健康のありがたみを知る」と同様。あたかも宮沢賢治が真の豊かさというか、足りたるを知るという境地に至ったような。これを知れば、満足した豊かな気持ちでその後暮らせるのではないかと(もっとも、飽くなき願望実現のためチャレンジし続けるのも、これとは平行していって悪いことでは決してない。むしろやるべき)。
しかしいずれも、般若心経262文字に無限の心理が宿されていたとしても普通わからないように、両者、多くの経験を積んでしみじみ思うことなんだろうけど。私はまだまだ発展途上人。反省するのは当然として、今回閃いたことは閃いたこととして今後もいい人生を送れるよう努力するとしよう。
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