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お気に入りのカップ

画像は私のお気に入りのEMILIO BERGAMIN氏がデザインした珈琲カップ。
赤い実が愛らしい。見ているとやさしい気持ちになる。これを布に包んでポッケに入れて珈琲飲みに行きます。
スタバはサービスがいい。愛用の850ml入りステンレスポット持ってVENTサイズの珈琲オーダーするとなみなみと入れてくれる。300ml以上のサービス。うれしい。
で、このカップで堪能するのです。安定感もあり、珈琲残量少なくなると広口・白磁の肌の利点で珈琲の澄んだ琥珀色が楽しめる。内側にもちょこんと実がデザインされているのもいい。買ってよかった。

幼少の頃はカップを含み器にはこだわらなかった。鍋でインスタントラーメン煮てそのまま食べていたくらい。一種の親孝行のつもり。
でも、ある日兄が「ジュース飲むにしても瓶でそのまま飲むよりもグラスに氷入れて飲んだら何倍も贅沢な気分になるだろ」と言ったのを聞き深く納得。小学低学年の頃。それ以来、器にこだわるようになった。茶碗は自分で洗えばいい。大事なカップだったら絶対他人には洗わせない。洗わせてなるものかガルルウダー

器に関しては、お茶の精神世界と道具に興味があったこともあり茶道に入道し、多大な影響を受けました。
裏千家15代鵬雲斎元お家元から幸運にも直接今日庵にご招待をいただいた時に、前世からの器との縁の歯車がかみ合ったという感じがしてならない。

いい器があれば料理は質素でも構わない。枝豆3つ、ワカサギ佃煮3尾でも絵になる。晩御飯のおかずそれしかないというのならそれはそれで構わないとすら思える。いい器は料理でもある。

さて。茶碗といえば「茶碗を投げれば綿にて受けよ」ということわざがあります。文字どおり相手が怒って茶碗を投げてきたらやんわり受け止めなさい、その方がのちのちうまくいきますよということですね。

私も最近まで肉食獣だったししょっちゅう献血(どちらかといえば成分。どうでもいいか)しなければ血の気が多すぎる感じでしたが、やっぱ相手が悪くてもこちらもカーッとなってはだめなんですね。

今まで何度か激昂したことがありますが後で考えると全て後悔です。そりゃ翌日でも怒鳴りたいくらいだったらそれは翌日怒るべきかも知れない。でも大抵は翌日までには怒りは半減するんですね。それは怒らず綿で受け止める方がのちのちいい。
生死がかかる場合は特にそう。逃げるが勝ちですよ。もし肩がぶつかったりしたら本当に申し訳なさそうにわびますよ。相手が誰であっても。何かあっても完璧に勝つ自信はありますがそうします。家元から「相手が誰であってもあなどることなく。ネ○○さん」(ポンと肩を叩かれる)と申し送りもされているし。だから私は怒りません。それ以来悪い夢見なくなった気がする。

そういえば「鼠が憎くて家に火を放つなかれ」ということばもありますね。小さな怒りを解消するために大事なものを失ってしまうようなことはするなとの例えです。チラッと怒りの予感がしたとき思い浮かべます。
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