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海と老人

キャベツの千切り食べてて間違って飲んでしまったじゃないの。


さて。先日の記事について皆さんから励ましのお言葉をたくさんいただきました。私は非常にうれしい。
本来であれば、皆さんのもとに菓子折り1つくらい持って伺うところですが、それはいずれさせていただきたい(くらいに思っています)。

題名の「海と老人」についてなんですが。

私、実は週末にはたいてい電波が届かないところ‥そう、海の沖合いとか深山とかで瞑想したりしているんですよね。ちょうど「ルパン3世の“五右衛門”」がやるみたいに。

だから、しょっちゅうブログごぶさたしているんです。
今回は海に行ってきました。たまに独りになりたくて。って、いっつも独りなんですけどね。
でも、社会から完全に孤立した地域でまったくの独りになることってあまりありませんよね。私はよく、週末に完全な独りになって自分を見つめ直します。

プッ。そう。見つめ直すといえば、先日私が入院している病院の病室のご高齢のおじいさんに、その家族、娘さんとかお孫さんとかがいらっしゃってたんですがね。お孫さんの日常の話になったわけですよ。そしたらそのお孫さん、大学生らしいんですが、「最近自分探しの旅をして自分を見つめ直している」とか、「私のアイデンティティは」とか、いかにも青い、どっかの本で読んだようなことをおすまし顔でおっしゃってるんですよ。

自分のおじいちゃんとの会話でふつう「自分探しの旅してる」なんて言わないでしょう。「探して旅をしている」なんて言わなくても、単に「自分について考えてる」でいいじゃないですか。
そこが若さなんですね。若いっていいなーと思いましたね。

でも、それにしてもなぜ青春の考え方とかについて、巷で「青臭い」と言うのでしょうか。「青」は「青春」の意味でわかりますよ。でも「臭い」がわからない。臭くないでしょう青春って。臭いかなー。でもせいぜいいって「青春の香り」「青いね」くらいでしょう。

私、昔、「進研ゼミ」という暇つぶしの添削付きの通信教材やってたんですがね。
国語のある随筆についての問題で、作者が青春の考えをなぜか「生臭い」と表現しており、問題で「“生臭い”とは何を指すのか」というのがあったんですよね。

私、無性に腹が立ちましてね。
なぜ「生臭い」んだと。青春=生臭いと言う図式、作者の先入観だと。作者、青春時代にヘンなことばかりやってたんじゃないのか、図式が不快だと。作者は妙な妄想にとらわれている、こんな随筆を安易に教材に使わないでもらいたい‥などと思う存分、進研ゼミの添削指導の質問欄に書いて出しましたよ。
そしたら後日、弁解するような、私を諭すような回答がありました。私、納得が行かず「大人っていやらしい」(なんでじゃ)と思って拳を握り締めましたね。

さて、今回の題名の「海と老人」とは、私、いずれこの題名の小説で華々しく文壇デビューしたいと‥冗談です。
「海」は先日海に行っており、ごぶさたしてましたということです。

で、「老人」についてなんですが、私、海に行った後、温泉に行ったのですが、そこで「老人」を見たんですよ。

「老人」って珍しくもなんともないんですがね。ここで言っているのは「魂が老人」と言う意味です。

と申しますのは、私は温泉に行くと、帰り際に風呂の散らかったイスとオケすべてを番頭さんのごとく片付けて帰るわけなんですが、空いた温泉で他にいらっしゃった老人と2人になって、私、いつものとおりイスとかを片付けていたんですよ。そしたらその最中、その老人、プイッと帰って行ったわけなんですが、ふつう私がイスとオケ、一カ所にまとめているのを見たら、少なくとも自分の使ったイス、オケ片付けますよね。でもその老人、そのまま帰ったんですよ。
私、ガッカリしましたね。

この老人、魂も老人なんだなと。こうはなりたくないなと。そう思いました。

老人とは単に歳をとった状態を言うのではないんです。気持ちまで固くなった状態を言うのだと思います。

いつまでも他人を配慮する気持ちをなくしたくないと思いましたね。
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