手術後の熱が37度台になってきました。ただ頭痛がいまだにあり、体内では依然として何かと闘っているのだなと思われます。
さて。先先回の記事にたくさんのコメントをいただきました。内容に非常に重みがあり、視野が広がりました。ありがとう。真剣にお話いただきありがとうございます。
先の、皆様から頂いたコメント、ある方は「ブログは相手の表情が見えないので、話しかけなければ誤解やすれ違いを招く。現実の対人関係より難しい。だからこそ相手を気遣うことや思いやりを学ぶことができ、それが現実に生きてくる」とおっしゃってます。
ある方は「心に触れ寄り添ってくれる方がいる、ブログは心の栄養」とおっしゃいました。
またある方は「ブログのメリットとして現実にはさらすことのない思いを出すことができる、デメリットは依存」とおっしゃいました。
こうしたお言葉はいずれも共感をもってずっしりと響きます。
一方私はブログに関し、以前からこういう考えも持っていました。ブログにのめり込んでも、もしブログ、すべて消えてしまったらそれでおしまい、交流している方と例え道ですれ違ってもまったくアカの他人、ブログはそれほどもろく夢まぼろしの世界、それよりだったら現実の、時々でも会話する顔見知りのほうがずっと確実性がある、私たちはそうした人間関係にこそ心を注ぐべきではないか…という思いを持っていました。
この気持ちはいまだに変わっておりません。
「遠くの不確かなブロガーさんより、近くの知人」です。前回記事で私、敢えて冒頭に「お見舞い返し」という興醒めのことを書いたのも、ブログの他に現実世界ではいろんなリアルな付き合いがあり、これも大事だという意味をこめて書いたつもり。
リアルな付き合いは非常に大事。皆さんはそう思いませんか。
あなたをブロガーさんが物理的に助けてくださったことがありますか。
日常生活のことでブロガーさんに話して、リアルタイムに適切、かつ十分な情報量の話で助けてくださったことがありますか。
あなたがブログに心の叫びを記したとして、どこの誰が聞いているのかがわかり、あなたが満足する共感とかが返ってきていますか。
あなたの言わんとすることがちゃんと文章で伝えることができて、相手に誤解がなく伝わり、相手からも同感の言葉が返ってきていますか。
あなたの謙虚さゆえに一生懸命ブログに気持ちを記して、それについて相手からショックを受ける言葉が返ってきて、ブログ記事を書かないほうが気持ち的に楽だったのにと思ったことはありませんか。
相手から何をいただいたわけでもなく互いに自由・対等な立場なのに、いつしか相手が威圧的になってきたり、「○○をした方がよくはありませんか」とか「コメ返まだですか」「あの記事の集約はどうなっているんですか」「このままでは人は離れていきますよ」とか意見がくることがありませんか。
ブログは夢まぼろしみたいなものなのに、特別な、ガラス細工みたいな配慮と時間の投入が求められませんか。
リアルの付き合いより負担になったりすることがあれば、それは絶対おかしいと思うのです。
ブログへのスタンスとして、私は基本的にブログって読む側は「受け入れ」「肯定」の姿勢でなければならないのだと思うのです。
それは、相手が近況や気持ちを記してくれているだけでサービス精神旺盛なありがたいことだし、相手は多忙、疲れ、体調不良、血行障害、冷え性、胃腸の不良、貧血、空腹、浮腫、つわりとかで辛いかも知れないときに、敢えて工夫してブログを書いているわけですよ。
そんないじらしい方の記事に、書いた相手がつらくなるコメント書いてどうするんですか。
コメントとかした方はスッキリするかもしれませんが、つらいコメントいただいた方は、書かなくてもいい記事を書いた上にショックを受けるのは割に合わないのではないかと、そう思ったりして。
そうしたときに、記事を書いたかたは「真摯なコメントありがとう」とおっしゃるかもしれませんが、心の中では「ガックリ」だと思うんです。
ただでさえも話しことばに比べて舌っ足らずで誤解を受けやすくなる傾向があるブログ、そうした中では、まず受け入れてから相手の気持ちを癒やすコメントとかするくらいがちょうどいいのではないかと思うのです。もちろん、相手が踏み込んでくるのならそれに合わせると。
魂の会話をする、したいのだったら、相手と顔を合わせても堂々と言えることを書くべき。相手を前にしたら気を使ってシュンとなるようなものではなく、例え相手を目の前にしてもちゃんと言えることばで対応できるスタンスで記事書いたりコメントするのが本来ブログの交信のあるべき姿ではないかと思うのです。
最後に、世の中、諸般の事情 − 例えば多忙とか、相手に特別気を使って疲れるとか、会話するとつい他の日常のことが疎かになるとか、そんなことがあるとき、やはり、相手の方を傷つけず、さり気なく「さようなら」することもありうることなのではないでしょうか。
もちろん、誰とでも交流を深めることができるのは理想ですよ。
「都合によりミニメは受け付けておりません」という方がいらっしゃいます。迷惑メール対策もあるかも知れませんが、ミニメがくるとつい、他のことを犠牲にしてまでも丁寧な返事を書いてしまうような方である場合もあります。
いちいちそうした背景の説明は不要だと思います。
その人には、他人が思うよりずっと、深い背景、事情があってその方がそうした対応をしていることがあるのです。
ブログはその人がやりやすい形でやるのがいちばんいいのではないかと思うのです。
皆さんはいかがお考えになりますか。