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そして還る

前回の記事に対して無言の抗議がきているのかもしれません。

ブログをログインする画面に「購読者数」というものがあり、たまに目に入るんですが、入院直前に6件ほど増えた件数が、前回の記事をアップしてわずか6時間で4件減りました。

結局、以前からの購読件数プラスアルファに戻りました。

購読云々は気にしていませんが、なかなか面白い現象だなと。

前回の私の記事は気に障りましたか。確かに前記事、編集前は辛辣な部分はありましたが。

こういうものです。浅い付き合いというのは。

いやなことを書いていますが、ちょっと言わせてください。いいですか。だめなら止めますけど‥。

でも敢えて言うと、去った方、記事一つで去っていく程度の購読だったんですよね。

もし、前回の私の記事一つで、「ボスってこんな人だったんだ」と見切りをつけたのならば、その人と私はその程度の付き合いだったということです。


ということで、アロマ珈琲は、ふつうの記事を書くお店に還ります。でも、たまに皆さんをギョッとさせますからね。タノシミー


それにしても…


前回の私の、ブログの付き合い自体を否定しているようにも見える記事に対して、コメントくださった方々のコメント内容は、極めて大人ですよねー。驚きましたよ。イヤハヤ‥

前記事はある意味実験だったんです。私の精一杯のダークな記事に「あなた」がついてこれるかためすという‥。でもあなたはついてきましたね。4人落とした甲斐がありました。よかったです(えらそうに言ってますが。)

ところで、前記事で私、リア友とか現実生活の大事さを書きましたが、ブログはブログで非常に大事だと思っているのです。

私がブログ、否定するはずがないじゃないですか。

ただ、現実生活が充実していなければ、ブログでは豊かな内容の記事を書けませんよ。生活が淋しい場合、ブログ内容は情緒的になったり夢まぼろしみたいな内容になったりする傾向があるのではないでしょうか。

反面、ブログが現実生活を豊かにする面というのもあるのではないでしょうか。

ブログはすばらしいですよ。確かに。

実際に、あるブロガーさんたちは私の強力な力になっていますよ。

何か相談してもすごく的確な回答をくださる方もいらっしゃいます。すばらしい方。

ブロ友さんたちは、私にとってものすごい力になっていますよ。ほんとすばらしい方々ですよ。

ふつうの近所の知人には、魂のお話はなかなかできません。

ブログってすばらしい。
私はこうした付き合いを、ほんと大事しにしていきたいと思っています。

ブログについて(ある拍手コメントへの回答も含めて)

手術後の熱が37度台になってきました。ただ頭痛がいまだにあり、体内では依然として何かと闘っているのだなと思われます。

さて。先先回の記事にたくさんのコメントをいただきました。内容に非常に重みがあり、視野が広がりました。ありがとう。真剣にお話いただきありがとうございます。

先の、皆様から頂いたコメント、ある方は「ブログは相手の表情が見えないので、話しかけなければ誤解やすれ違いを招く。現実の対人関係より難しい。だからこそ相手を気遣うことや思いやりを学ぶことができ、それが現実に生きてくる」とおっしゃってます。

ある方は「心に触れ寄り添ってくれる方がいる、ブログは心の栄養」とおっしゃいました。

またある方は「ブログのメリットとして現実にはさらすことのない思いを出すことができる、デメリットは依存」とおっしゃいました。

こうしたお言葉はいずれも共感をもってずっしりと響きます。

一方私はブログに関し、以前からこういう考えも持っていました。ブログにのめり込んでも、もしブログ、すべて消えてしまったらそれでおしまい、交流している方と例え道ですれ違ってもまったくアカの他人、ブログはそれほどもろく夢まぼろしの世界、それよりだったら現実の、時々でも会話する顔見知りのほうがずっと確実性がある、私たちはそうした人間関係にこそ心を注ぐべきではないか…という思いを持っていました。
この気持ちはいまだに変わっておりません。
「遠くの不確かなブロガーさんより、近くの知人」です。前回記事で私、敢えて冒頭に「お見舞い返し」という興醒めのことを書いたのも、ブログの他に現実世界ではいろんなリアルな付き合いがあり、これも大事だという意味をこめて書いたつもり。

リアルな付き合いは非常に大事。皆さんはそう思いませんか。

あなたをブロガーさんが物理的に助けてくださったことがありますか。

日常生活のことでブロガーさんに話して、リアルタイムに適切、かつ十分な情報量の話で助けてくださったことがありますか。

あなたがブログに心の叫びを記したとして、どこの誰が聞いているのかがわかり、あなたが満足する共感とかが返ってきていますか。

あなたの言わんとすることがちゃんと文章で伝えることができて、相手に誤解がなく伝わり、相手からも同感の言葉が返ってきていますか。

あなたの謙虚さゆえに一生懸命ブログに気持ちを記して、それについて相手からショックを受ける言葉が返ってきて、ブログ記事を書かないほうが気持ち的に楽だったのにと思ったことはありませんか。

相手から何をいただいたわけでもなく互いに自由・対等な立場なのに、いつしか相手が威圧的になってきたり、「○○をした方がよくはありませんか」とか「コメ返まだですか」「あの記事の集約はどうなっているんですか」「このままでは人は離れていきますよ」とか意見がくることがありませんか。

ブログは夢まぼろしみたいなものなのに、特別な、ガラス細工みたいな配慮と時間の投入が求められませんか。
リアルの付き合いより負担になったりすることがあれば、それは絶対おかしいと思うのです。


ブログへのスタンスとして、私は基本的にブログって読む側は「受け入れ」「肯定」の姿勢でなければならないのだと思うのです。

それは、相手が近況や気持ちを記してくれているだけでサービス精神旺盛なありがたいことだし、相手は多忙、疲れ、体調不良、血行障害、冷え性、胃腸の不良、貧血、空腹、浮腫、つわりとかで辛いかも知れないときに、敢えて工夫してブログを書いているわけですよ。
そんないじらしい方の記事に、書いた相手がつらくなるコメント書いてどうするんですか。
コメントとかした方はスッキリするかもしれませんが、つらいコメントいただいた方は、書かなくてもいい記事を書いた上にショックを受けるのは割に合わないのではないかと、そう思ったりして。

そうしたときに、記事を書いたかたは「真摯なコメントありがとう」とおっしゃるかもしれませんが、心の中では「ガックリ」だと思うんです。

ただでさえも話しことばに比べて舌っ足らずで誤解を受けやすくなる傾向があるブログ、そうした中では、まず受け入れてから相手の気持ちを癒やすコメントとかするくらいがちょうどいいのではないかと思うのです。もちろん、相手が踏み込んでくるのならそれに合わせると。

魂の会話をする、したいのだったら、相手と顔を合わせても堂々と言えることを書くべき。相手を前にしたら気を使ってシュンとなるようなものではなく、例え相手を目の前にしてもちゃんと言えることばで対応できるスタンスで記事書いたりコメントするのが本来ブログの交信のあるべき姿ではないかと思うのです。

最後に、世の中、諸般の事情 − 例えば多忙とか、相手に特別気を使って疲れるとか、会話するとつい他の日常のことが疎かになるとか、そんなことがあるとき、やはり、相手の方を傷つけず、さり気なく「さようなら」することもありうることなのではないでしょうか。

もちろん、誰とでも交流を深めることができるのは理想ですよ。

「都合によりミニメは受け付けておりません」という方がいらっしゃいます。迷惑メール対策もあるかも知れませんが、ミニメがくるとつい、他のことを犠牲にしてまでも丁寧な返事を書いてしまうような方である場合もあります。

いちいちそうした背景の説明は不要だと思います。

その人には、他人が思うよりずっと、深い背景、事情があってその方がそうした対応をしていることがあるのです。

ブログはその人がやりやすい形でやるのがいちばんいいのではないかと思うのです。

皆さんはいかがお考えになりますか。
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