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男の心理

さあ、今日はさり気なく男の心理の一例を記そうか…フィー(因みにボスはタバコを吸いません)。
もちろん現代は「男だからこう、女だからこう」という時代ではありません。だけど、やはり男女の「考え方の違い」みたいなものはあるんです。数十年男をやり男を見てくるとわかる。あと、私のように幼少から多くの女性の世話になって来ていればわかりますよ(ヒモではありません)。

でも今回はあくまで皆さんの暇つぶしのために書くものです。本気にしないでネ

さて、男ってやつぁ特に女性からのさげすみのことばに弱いのです。あと、罵詈雑言に弱い。
ナニ?「罵詈雑言に強い人はいない?」「それは女性でも同じ?」
う〜む、確かにそうでしょう(キッパリ)。間違いない。いや、でも男って特にそういう傾向があるんですよね。極めて弱いんです。話が進まないのでそういうことにしといてください。

で、男は力(腕っ節)では女性より強いですよね。

昔ではすぐ男が手を上げたり暴力をふるったりして、ほんといやな時代はあったと思う。いまだにドメスティックバイオレンスとかはある。
でも、現代はそうしたことが否定され、なくなってきている時代。
傲慢だけど男の中では「腕力はある、しかし、か弱い女性に暴力をふるうのは最低だ」という意識がある。
そうした考えの中で現代の男性は力に任せてではなく、女性の意見を特別聞き、女性という神秘的な異性の考え方というものを極力理解しようとする傾向があるのではないでしょうか(って誰に同調を求めてるんだ)。
いや、実際男性の中では女性は「神秘的な存在」なのです。
女性の中では男性ってステテコはいて汗臭いという現実的でリアルなイメージがあるかもしれないけれど(いや、私はステテコはきませんよ汗臭くもないし)、とにかく男性にとって女性は秘密の多い神秘的な存在なんですよ。

そうした中で、男性にとって女性から言われることばは女性が考える以上に重要で尊重されますよ。

特に女性から言われる一言が非常にこたえることがある。つか、こたえる。
さげすみのことばとか、他の男性と比較して自分が劣っているといったことを言われた時とか。
「あんたのお給料は隣のだんなさんの半分よ」とか「前の彼氏はこんなことしてくれたよ」とか。

もちろんこれは女性にとってもまるまる当てはまることではありますが、女性はか弱いので心底傷つきますが、男性の場合それをさらにリピートして「私はそうなのか?劣るのか?」と自己反省して頭に刻み込むのです。

反面、男性が男性からさげすみのことばを受けたらどうなるか。「なんだと。アンタには大事な家庭があるよな。家族を悲しませる結果になることはしない方がいいんじゃないのかな」ですよ(マフィアかっ)。全然こたえない。

先日ブックオフで立ち読みしていたら、銀座のママさんの書いた処世術の本が3冊ありまして、不思議なことに表現は違えど皆が上記のことを言ってましてね。
銀座のママさんっつったらアータ、人間観察のプロですよ。私なんかお手玉にされてしゃぶられるくらいなんスよ(何をじゃ)。で、フルーツの盛り合わせ13万円ですよ(ンな)。

で、そうした女性はもちろん男性のことも手にとるようにわかる銀座のママさんらが上記と同様のことを言っていたのです。ハッとしましたね。「私の見方は間違ってなかったんだ」と。「私も銀座のママさんになろうかな」と。
いや、誤解しないでください。考え方の点で素質はあるかなと。ちょっと着物を着てみようかなと(やめろ)。
いや、私は占いが得意というか好きだから「銀座の父」とかで行ってもいいかなぁ:*:・(´∀`):*:とかね(間違いなく冗談です)。

というわけで、男は見かけによらず案外傷つきやすい生き物だという話でした。

大部分の人は超能力者ではない。だから言わなくては伝わらない。

例え話をしましょうか。

私は茶道を習っています。交際範囲としては他にも馴染みの方とか行きつけのお店とかあるとしますよ。

で、私、ちょっと多忙その他やんごとなき事情でそうした人たちと当分付き合いを絶たざるを得ない状況になったとする。

でも、多忙などのために個別に挨拶できず、ご無沙汰する挨拶を付き合いがあった方に、全く同じ文面のハガキでしたとする。で、忙しさとかのピークが過ぎ落ち着いたら個別にひっそりと挨拶しようと思っていたとする。

ここで私の付き合いの茶道仲間にはA、B、C、Dさんがいたとしますよ。
付き合いはAからDさんまで順次薄くなるとしますよ。

AさんからDさんまでは何か友達のネットワーク化ができていて、Aさんに伝えた私信はなぜかしらBさんにも伝わったりしていて、私としては別れの挨拶をとりあえず付き合いの一番深いAさんにだけはしようとは思うのですが、そうした挨拶を多忙だとは言えAさんにだけしたことがすぐBさんCさんDさんに伝わるとすれば、これはやはり忙しさが落ち着いたら同時に皆に挨拶すべきだなと思うわけですよ。私とB、C、Dさんとのつながりに妙な気まずさを残さない意味で。

こうしているうち、茶道仲間のAさんからDさんの中では内輪でいろいろしゃべり合うわけです。「深い付き合いだと思ってたけどこの程度。あっさりとしたものよね」「追うな追うな。バッハハーイ」「♪逝きな〜さ〜い〜」とか。

先日まで深い付き合いがあって信頼していたつもりなのに、落ち着いたら挨拶するつもりだったのに、「は?」ですよ。「この人たち、そんなに冷たい人たちでしたっけ」ですよ。こちらはそんなつもりはないのに。あとでちゃんと手紙出して説明しようと考えていたのに。

でもやはり人間は超能力者ではない。言わないと伝わらないものなんですね。

一方、ひそひそ話って、本人が直接言われるより本人がいないところでそうした話が展開されていることが本人に伝わる方が本人にとってはこたえるものなんです。

で、伝わるものなんですよね。

あんなに憎みも憎まれもしない仲良い関係だったはずなのに、情が深い関係であったがゆえに疑心暗鬼の度が強くなる。悲しみを通り越して不信感が出たり。おかしなもんです。

一方、私と馴染みの人たち、この方々を甲さん乙さんとしましょうか。

甲さん乙さんと私は「君子の交わりは淡きこと水のごとし」、淡々とあっさりと、かつ長い付き合いだったとします。私が思い切って他人から誤解を受けるような行為をしてもあっさり受け流してくれますよ。

で、乙さんは私のするいやな行為を見ても「そんな時もあるよ。人だから」と平静でいてくれたり、「あんた付き合いをやめるといったけどいつでも付き合いたくなったら戻ってらっしゃいよ」とメールをくれたりするのです。人生の機微を知っているというのか、ちゃんと逃げ道を準備してくれている。

人は追うものからは逃げるんです。で、追い詰められるともはやなすすべがなく、うずくまるしかないのです。

逃げ道を準備してくれている乙さんには、「いや〜、付き合いやめると言っちゃったけど、また来ちゃったよーメンゴメンゴ」となるわけです。

甲さんもまた私と個々の付き合いをしている人です。この方は臨機応変で深みがある方です。私が憎まれ行為をしてもあっさりと受け流し、「なぜこの人はこうした行為をしたのだろう」と背景を探るくらい余裕がある。
酸いも甘いもどころか、辛いも苦いも噛みわけた方なんです。安心感がある。
ネットワーク化がなく疑心暗鬼も生じない。「いや、実はさぁ‥」と私がいつ復帰しても話を打ち明けやすい状況にしてくれているんです。

結局、茶道仲間とは再起不能ですわ。


いずれにしても今回の事例の一番わるかったことは私の説明不足と筆まめではなかったということ、不義理だったということだったんですね。不義理は恐いね。

これからは言いたいことがあったらちゃんと口で伝えよう。

あと、私は物事の背景を探れる冷静さを持ってみたい。

その方が辛辣な言葉を言っている場合、その人がなぜそうした言葉を言っているのか、自分はその人を怒らせる言葉を言ったことがなかったのかとか。相手が意外なことを言っていたときには特に。そうしたい。

救いはあるのか

体調が継続してわるく、うなされているまま泥沼の記事を書いてしまった。

この悲観的思考から好転することはあるのだろうか。

誰かに助けてもらいたい。スパッと。

「そうか、そうだったんだ、ブログってすばらしいんだ」とほんと納得したい。してみたい。

でないと今後確実に出てくる超多忙な日々に、私にとってのブログというファンタジーの世界はきっと押しつぶされてしまうだろう。ズルズルとしがみつきながらも、いずれブログをあきらめてしまうだろう。これには何か釈然としない、もったいないという気持ちがあるのです。

昔から「白か黒か」(やるかやらないか)の中間が取れない融通のきかない子供だった。いまだにそうなのだ。私は。

こうした中、ブログをやめるといいつつ、ここ数日「ほんとうにいいのだろうか」と思い続けてきた。ほんとうに迷いがある。

未練めいたものを断つために敢えて先回のような最悪の酸っぱいぶどうみたいな記事内容を探してしまったのかも知れない。

前回の記事に、果たして笑って回答できる余裕のある人はいるのだろうか。

大抵は、ブログの存在意義を否定された感じで立腹し、私を見損なう人が殆どでしょう。
いくら「茶飲み話のようにとらえてください」と前置きしていても、きっとそうでしょう。

あの記事、私が私自身、ブログをやめたくないけど多忙とかストレスでやめようかなという感じがあって、そのために自分を納得させるために作った最悪のプレゼンです。
きっと私を知る方は、全くガッカリなさったに違いありません。

私も「これは口に出すのは思いっきりイメージダウンだぞ」と思いました。

でも、もし皆さんが私の過去のブログとかを通じて、私の人柄をわかっているよと言ってくださる方がいて、決して敵意とか、そんなことなしに書いているんだと理解してくれている人がいるとすればありがたいし、できれば私のこの「やめるのか否か」という大きなジャッジに力を貸してもらいたいという藁をもすがる思いがあるのです。


相変わらず暗いし優柔不断ですよね。体調が優れずどうしようもなくなってしまいました。凡人が暗い部屋で考えごとをしていれば、やはり悲観主義になってしまうものです…。

臨時営業

皆さん、今回の話はセンチメンタルな気持ちを持たずに、単なる明るい茶飲み話というイメージで聞いてください。
ブログについての観念的なことを書きます。決して挑戦的な話ではありませんから。

話したいのは、皆さんはなぜブログをやっているのかなということと、やるメリットはデメリットと天秤にかけるとやはり大きいのかなということなんです。自分をだましてやり続けたり、ただ惰性でなんとなくやっている人が結構いるんじゃないかということなんです。

世の中、友達が極めて少ないとか、交際範囲が狭いとか、ヒマでヒマでしょうがないという人だったらブログをやる意味はあるでしょう。これはわかる。寂しいんだから。
あと、趣味の話で交流するのが楽しいとかね。わかる。

でも、多くの人にとってブログって面白いんだろうか。やる意味があるんだろうかってね、そう思ったりして。

だってさ、世の中のブログを見てごらんなさいよ。殆ど、9割方、電車やファストフード店とかで小耳に挟む雑談でしかないんじゃないでしょうか。「今日は旦那と喧嘩した、お昼○○食べて○○の本読んで、面白かったよ〜ん」みたいな。

ファストフード店にいる人の雑談だったらそれでもチラ見で顔がわかるから「あー、この人こんなこと考えてるんだ、へ〜‥」とか思うこともできるけど、ブログって、どこのどんな顔の年齢何歳くらいの人が書いているのかとかさえ、殆どわからないわけじゃないですか。
で、会話だったら少なくとも数分聞いても言葉にするとかなりの情報量のことを話しているわけで脈絡がわかるけど、ブログって殆どが数行、10〜20数行程度の、話し言葉に換算するとわずか数十秒のこと、しかも殆どが断片的な内容のことしか書かれていないわけですよ。

この情報が氾濫する社会の中でそうした、巷で聞き飽きたような、テレビつけたらどんどん入ってくるような、そんなビジュアルでもない断片的な話を見て、どこが面白いのかなと思ったりすることがしょっちゅうあるんですよね。

いや、ご気分を害したらごめんなさい。これは決して少ない情報量のブログを否定しているわけではなく、普通に考えて客観的にそう思われはしませんかと、そういうことなんですよ。

あなたは馴染みのブロガーさんがいて、思い入れがあるから「そんなことないよ」と言うかも知れませんが、普通に考えてみて、こうしたブログ見て上記の雑談しか書いていないのが殆どの中で、見ていて面白いですか。
面白いと断言なさるのなら幸せなことですけど、私としては先に書いたような何の期待もできないブログが多い状況にワクワク感とか持てないのです。

あと、皆さんはそうした数行数十行書くのに結構時間をかけていませんか。時間対効果的に(かけた時間から考えた効果として)、書く意味がありますか。相手はパッと読んだらスッと忘れるんですよ。殆どが。それでも何かを期待して書く意味がありますか。

で、たまに記事、本人が意図した以外の誤解とかがあって、ガッカリすることがあなたにはありませんか。やり切れない思いになることはありませんか。


以上のことがらに対して普通に考えてあなたはどう思われますか。

私ごとで恐縮ですが、この疑問に私自身が納得しない限り、私は現実生活で疲れたり忙しくしている中、敢えてブログをやろうとは思わないでしょう。

今回の記事を見て「へー、ボスさんってそういう人だったんだー、冷たい人だったんだね‥」とか思わないでください。

ブログを愛し、のめり込み、そんな中で思い続けてきた疑問を書きました。

ボスの知らせ

皆さん。






元気ですかーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!







今日は私、申し上げたいことがあるんですよ。




私、これからちょっと旅に出ようかなと思っているんですよね。



旅というのは、比喩が入っていますが、私、これから本命の役目に邁進したいなということなんです。



本命の役目とは、はっきり言えば「仕事」です。



ア ロ マ 珈琲は、私の長期入院、手術、そして回復まで私を支え、皆さんの励ましの力を映し出す魔法のブログでした。


私はこのブログを通じて多くのすばらしい方々と出会いました。


記事ではもちろん、拍手、ミニメとかでも、ほんとうに温かな交流がありました。


私はそろそろ本命の役目に邁進するときがきています。



ア ロ マ 珈琲は私のために、大役を果たしてくれました。


今、ブログ作成時から初めてドキドキしながら記事を書き、初めてコメントし、返事に喜び、入院先の病院の一角、あちこちで夢中で記事を書き、コメントが来て、交流があり、悩みを書いたり励まされたり…

そうしたたくさんのことがフラッシュバックされ、しみじみ感動しています。


ブログをやらなければ皆さんと出会えなかったというこの奇跡。



私は今まで自分のためにブログに時間をつぎ込みました。

今度は私、その時間を私の本命の役目に使っていきたいと思います。

役目とは、明るいことです。先ほど「仕事」と言いましたが、具体的に言えば、若い方を私なりに力づけようとする、前向きなことがらです。



だから皆さん。もしかしたらあなたたちをちょっと悲しませているかも知れませんが、どうか、お許しください。そのぶん私、がんばりますよ。


私が今までブログにつぎこんだ力を、今度は私の役目に集中させて使っていきますよ。


だから悲しまないでください。今でも一部の方からあたたかなメールをいただいています。この記事を書く直前にも、あるすばらしい方からメールが来ていました。メールをくださる方々は、ほんとみんなすばらしい方々。

今、あなた方のもとを訪れ、いろいろとお話したいことはたくさんありますが、そうすると私、ブログを去ることができなくなりますので、ごめんなさい、この場であなたにしばしのお別れを言わせてください。ごめんなさい、メールも、悲しくなるのでできないかと…
いや、決心が揺らぎますのでメールはしないことにします。お許しください。



今回私、ブログの電源を切りますが、でも時々、新聞を見るようにあなたがたの記事を見させてくださいますか。



あなたがたのことは忘れません。



あ り が と う 。

      泣き虫ボス
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