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死ぬことを定めるとその後の人生が変わるのではないかと思ったこと

子どもの頃は、奇跡とかあって自分だけは死なないと思っていた。
死ぬことを考えること自体、恐くて、かつ縁起がわるいことだと思って考えないようにしていた。

けれども、私、体をこわし、体に翳りが出て、以前からうすうす考えながらも目をつむってきた「死」というものについてそろそろちゃんと考えなければならない時期に来ているように思っている。

いや、すぐ死ぬというわけでは決してない。でも、いずれ死ぬのです。

死を軽々しく口に出すこと自体慎まなければならないことです。

けれども、死はいずれ必ずやってくる。そして、それに向けての準備をするのとしないのとでは、今、私が思うに人生の結果にかなりの差がでるのではないかと感じているのです。

確かに、今バリバリと頑張っておられる人とか、若い方には、死というものは全く縁遠いものであり、考える必要はないかもしれない。

でも、人生を有限と観念し、例えば平均寿命の統計を確認し、確認しなくてもだいたいの平均寿命に予備をとってマイナス5歳くらいにして、それまでの余命を出して、そのうちに例えば何回ご飯を食べられるのかとか、何週あってどのくらいの余暇があって、何回元気に夏を迎えることができるのか、そのためにはどのようにして体力をつけておく必要があるのか、自分は80になってもかくしゃくと歩きたい、清水寺の産寧坂を元気に歩けるおじいちゃんになりたいとか、そうしたもろもろのことに備える気構えができるような気がするのです。


私は先月22日に胸部大動脈瘤に対しての手術をいたしました。

朝、手術着を着て、看護師さんに案内されて手術室に向かいました。

エレベーターの中では年配のおばあさんもいらして、そのおばあさんも同じく手術に向かうところで、私は、他に手術の人がいることで安心感も出たものです。私はおばあさんに笑ってもらうためにことさら看護師さんと私のダイエットのコツとかをおもしろおかしく話したものです。
で、手術室の待合室に行ったら、なんと4、5組の手術患者さんが看護師さんに付き添われて待っていて、私はさらに非常に安心感を持ちました。手術する不安を抱えているのは私だけではないんだと。

で、手術台に上がる時が来て、手術台に上がりました。

手術台はほんとうにフカフカで、あったかくて、執刀医を除いて7人のドクター、スタッフがいらっしゃり、至れり尽くせりの雰囲気がありました。

そこで私は思ったのです。この雰囲気は、あの世に行くときと同じではないのかなと。

死ぬ時には、やはり我々は霊長類の長、お迎えの使者などが来るのではないか、最初は今回の看護師さんみたいな雰囲気で使いの方が、で、途中からはあの世への案内の方々が。実際私の父には、幻覚かも知れませんが父の亡くなったお母さん、そして複数の方がいらしていたようです。父が指差して訴えていました。

で、あの世の入り口では、丹波哲郎さんの大霊界ではありませんが手術の待合室みたいに、あの世に向かう人が結構待っていたりして。

死者は死後、キョウカタビラ(死出の白装束)を着て、肉体はフカフカの布団が敷かれた白木の箱の中に入れられ、そしていずれ台に乗せられ、火葬されるのです。

手術に当たっては台に乗せられ麻酔がかけられ、ある段階で安らかに全く意識を失います。あのシーンはまさに、肉体が火葬され、あとは肉体も、肉体につながった意味での意識も、何もかも全く消失するという世界。あの世への旅立ちの場面と非常に似ているものがあると、私は思ったのです。

そう。人生は本当に有限で肉体もいざとなればあっけなく終わるのです。でも生きているうちは生きなければならない。ならば生きているうちはできるだけ充実した人生を送らなければならないのです。それが生きる意味なのです。

手術を経て、私はそう思いました。

まず死を定める。暗い話かも知れませんが、私は最近、こうした死の時について、時々考えるのです。今はやめろという意見もありますが…。


さて。長々と書きました。
私、今日20日から少々記事記載をお休みするかも知れません。昨年今頃もそうでした。私が修行と言っていることをするのです。

では。
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