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私が幽霊の存在を信じるわけ@

本当ならこのようなお話は、夏にすべきなんでしょうけどね。

今回の、この手のお話が苦手な方はどうぞこの記事を読まないでくださいね。


私、以前11月6日、「虫の知らせ」という題名で記事を書きました。

で、その際チラッと、私の祖母が驚愕する形で虫の知らせをなさったこと、そのことについてのお話を、亡き祖母に伺いを立ててから、機会があったら皆さんにお話すると申しましたよね。

実は、今回はそのお話についてなんですがね。

祖母が亡くなり30年が経過した今、今改めて祖母を偲び、縁あってブログで接点を持った皆さんにこうしたお話をさせていただくのも、祖母に対する供養になると私は思うんです。


さて、私はかつての「虫の知らせ」の記事の最後に、芭蕉の「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」の句を上げさせていただきました。

今回私が言う「幽霊」とは、生きた人の意思というか、テレパシーというか、生き霊?というか、いずれにしても、こちら側が精神的に不安定ではない状況において、位置的に離れた場所に‥どう考えても物理的にふつうあり得ない形で相手の意識、姿とかが映し出される現象があったと、それを実際に私の父母、私の親戚らが見たというお話なんですよね。


だから、厳密には「亡くなった人の魂」という意味での幽霊という扱いのお話ではありません。
生きている人の意思、意識が遠く離れているところに形となって反映されるという意味での幽霊というお話です。


まさにこの状況は、芭蕉の句にある「夢(意識)は枯野を かけめぐる」というイメージそのものの状況だと感じているのです。そうした出来事が「実際の現象」として私の父母、親戚らの目の前で実際に起こったというお話なんです。

前置きが長くなりました。

続きます。
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