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祭りのあと

今日はトラジャを大倉陶製のフルーツのカップで。
かりんとうを添えてみました。どうぞ

今年、昨日までで2つほどの祭りを見ましたが、祭りって、そこから帰るときとか、祭りが終わったりしたときとかに、なんとも言えない寂しさとか虚しさとかを感じたりするんですが、皆さんはそうした気分になったりなさいませんか。

いや、祭りに限らず、賑やかなところから地味なところに帰ったりすると無性に虚しさなんかを感じたりなさいませんか。

えっ、あなたも?そうでしょう、そうなんですよ。

あれって、何なんでしょうね。

高いところにあった気分がいきなりストーンと落とされた感じとか?その落差を感じる現象とか?

私、他にも、特に東京、銀座や新宿に滞在して、新幹線で地元に帰ってくる途上とかにも、かなり何ともいえない寂しさとか虚しさを感じたりするんですよね。

できることならずっと、東京にいたくなったりする。日本橋とか日比谷に職場を構え仕事したりできたらどんなにやりがいがあるかとか思ったりするんですよね。

話は変わりますが、祭りのときって、屋台とか露天とかのお店でいろいろ食べたくなるんですが、私は強力な意思で食べないんですよ。

実際、食べたあとでふつうの生活に戻ったりすると、結局、食べたのは日常以上のカロリーなわけで後悔するに違いないんですよね。雰囲気に飲まれ飲食しても、日常に戻ると単なる食べ過ぎなんですよ。

手術前には「食べても運動でカロリー消費できる」といくらでも食べたものですが、今ではだめです。
私も考えが地味になったものです。


ところで、最近特に、人生の喜びって何なんだろうと思うんですよね。

ちょっと例え話をいたしますよ。

独身の方は幸いです。恋愛に対する夢がありますよね。
また、同じ視点で結婚している人は幸せですよ。幸せな充実感がありますよね。

私はそうした幸せ、反対の方から考えてしまう。

独身だと寂しくて不安で幸せではなく、結婚していると恋愛の可能性がなくなって幸せではない。

空腹話で例えましょうか。

お腹がすいている人は「これから何を食べようか」と考える楽しみがある。
満腹の人は「おいしいものをたくさん食べたなぁ」という満足感がある。

でも、私の場合、両者あんまり幸せだと思えない。
空腹の人は灼けるようにお腹が空いているにすぎない。満腹の人は、あと食べられない、食べる楽しみがない状態。

そんな解釈、思考回路になってしまっている。

病気、長期のダイエット生活、体内部に手術困難な心配なところがあるという不安とがが、私をそんな気持ちにさせているんです。

今の私を爆発的に喜ばせる方法はロト1等当選しかないのではないかと思ったりしているんです。

毎日ロトの数字を眺めています。

ロト予想には様々な手法がありますが、私は数字を擬人化して考えています。私の中ではロト6には43人の特徴のある人々(神さま達)が登場しています。すべてに特徴があり、その方々が誰誰とお食事に行ったり、向こうから華やかな着飾った人たちが来たら路地を曲がり、そしたら偶然誰誰がいて、なぜかしら「こんど○○さんと2メートル離れてお食事しましょうね」と約束を結んだりしているんです。

で、実際、ロト数字は出会う人により不思議なほど同じような動きをするんです。

でも、向こうから誰が来るのか、曲がったところに誰と誰がいるのかといった組み合わせが様々あって解釈が別れたりして、その組み合わせが複数あって、私の決めたお小遣いの範囲で網羅できなかったりするのがもどかしい。
でもいつか「あれっ、このパターン見たことがあるぞ」という瞬間を捉えたいと思っています。


今日も思うまままとまらない記事を書いてしまいました。
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