スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

いつかはお店を

いつかはお店を開業したいと思っている。

カフェ。

高級感漂う、クラシックとヨーロピアンミュージックの似合うお店。


マイセン、ロイヤルコペンハーゲン、ヘレンド、ジノリといった銘陶を取り揃え、そして常に生花が飾られる、優雅なお店…。


珈琲はワインで熟成させたオールドビーンズ使用、粗挽きでネルドリップ抽出。丁寧に滴下した、香り高いもの。


メニューは各種ケーキ、ゼリー他。


サンドイッチも出してもいいな。



いつかはお店を。


そんな希望を持っている。

勉強の歌

題名とは合いませんがソルベです。召し上がれ


森高千里さんの歌に「勉強の歌」というのがありましてね。

好きなんです。

私はもともと「勉強」「勉学」という言葉が好きでして、小学校卒業時の目標に「勉学一念」などと書くくらいだったんです。

で、ある程度成長してから、森高千里さんのこの「勉強の歌」に出会いました。

歌詞が私のツボにハマりました。

「勉強は できるうちに しておいた方がいいわ あとになって 気づいたって 遅いわ」とか、「シャクだけど 勉強には にんじんと同じくらい 栄養があるみたいよ 食べなきゃ」とか、なかなかキツい、でも今になってみるとまったくそのとおりだなという言葉が散りばめられているのです。

他にも、「でも英語だけでも真面目にしておけば、今ごろ私は、カッコいい国際人」とか「でも歴史だけでも真面目にしておけば、今ごろ私は、ちょっとした文化人」とか、この歌にもっと感受性の豊かな年代に出会っていたら、私の人生変わったかも‥とか、そんなことを考えたりしているのです。

でも、よく言われますよね。歴史には「たら」と「れば」はないと。「○○だったら」、とか「○○であれば」はないのです。今となってはどうしようもない。

今できることは、持ち駒でいかに人生充実させるか。ポーカーではないけれど、配られたカードでいかに最善を尽くすか、なのですよね。

私は病気で大きな手術をいたしましたが、これも成るべくしてなった状況。コンピューターのように、「オンかオフか」「やるかやらぬか」といった二者択一の繰り返しの結果なのですよね。

反省はしても、後悔はする必要はないのです。後悔しても過去は変わりませんからね。そう自分に言い聞かせて、持ち駒でこれから頑張っていきたいと思っています。

ブログを続ける人

メロン、どうぞ

はい、あ〜ん


って新婚かっ



表題の「ブログを続ける人」、私はブログでご自身の気持ちとか考え、日常を長期間書き続けている人って、すごいと思うんですよ。

だってサ、ブログって電話とかと違って、大抵はどこの誰かもわからない対象に向かって気持ちとか日常を書いているわけですよ。無報酬で(当たり前じゃ)。

で、そこではその文章の読み手は大抵、書き手が文章を書いたり文章を書くために考えた数百分の1くらいの時間でその文章を一瞥するわけですよ。
スーッと。
決して傍線を引いたりノートをとったりして読むわけではない(当たり前じゃ)。

で、その記事はそれっきりになるわけです。大抵は二度と読まれることはないわけですよ。
私は最低三度、しかも複数日にわたって繰り返し、気に入れば10回は読み返しますがね(ストーカーかっ)。

でも、ふつうそうしたプロセスで読み飛ばされる文章なのに、忙しい中、携帯でポチポチ打っていくわけです。


そんな性質の文章なのに、どうしてあなたは打つのですか。なんでなんですか(と言い寄る(笑))。

それは「きょうはダリー」とかの文章だったら楽ですよ。もっとも、第一そんなこと公表する意味はわからないのですがね。

私が感心するのはいつも何を考え、どのような行動をとったかとか、何に感動したかとかが文章なり画像でわかる記事を書き続けている方々なんですよ。

別にブログを書く方すべてそんなスタンスでなければブログを書く意味がない、とか申しているわけではありませんよ。

ただ、個人的に、そうしたスタンスでサービス性を盛り込みながら記事を書いている、書き続けている方は、なんと申しますか、すごいな‥と感心するんですよ。

そういう私は半ば風前の灯火みたいな状況で記事を書いています。

でも、やめません。サボりはしますが。

最近、単調な暮らしで、真新しい出来事がありません。だから楽しい記事が書けません。

ですが、いつか書きましょう。

特に、ロトを当てたら、ここでその的中方法をシリーズで書きましょう。

じっさい、自分なりにすごい的中率で当たっています。

さて。今日は朝から非常に気分がふさいでおりまして、でも、朝、携帯を開いたら、記事を書いていないのに訪れてくださっている方々がおられ、わたしは貴方がたに感謝いたします。

コメントくださっておられるあなたがたさま、これからもよろしくめんどうみてやってください。このとおりだ。(ってオヤっさんかっ。)


ほんの気持ちです。お召し上がりください

祭りのあと

今日はトラジャを大倉陶製のフルーツのカップで。
かりんとうを添えてみました。どうぞ

今年、昨日までで2つほどの祭りを見ましたが、祭りって、そこから帰るときとか、祭りが終わったりしたときとかに、なんとも言えない寂しさとか虚しさとかを感じたりするんですが、皆さんはそうした気分になったりなさいませんか。

いや、祭りに限らず、賑やかなところから地味なところに帰ったりすると無性に虚しさなんかを感じたりなさいませんか。

えっ、あなたも?そうでしょう、そうなんですよ。

あれって、何なんでしょうね。

高いところにあった気分がいきなりストーンと落とされた感じとか?その落差を感じる現象とか?

私、他にも、特に東京、銀座や新宿に滞在して、新幹線で地元に帰ってくる途上とかにも、かなり何ともいえない寂しさとか虚しさを感じたりするんですよね。

できることならずっと、東京にいたくなったりする。日本橋とか日比谷に職場を構え仕事したりできたらどんなにやりがいがあるかとか思ったりするんですよね。

話は変わりますが、祭りのときって、屋台とか露天とかのお店でいろいろ食べたくなるんですが、私は強力な意思で食べないんですよ。

実際、食べたあとでふつうの生活に戻ったりすると、結局、食べたのは日常以上のカロリーなわけで後悔するに違いないんですよね。雰囲気に飲まれ飲食しても、日常に戻ると単なる食べ過ぎなんですよ。

手術前には「食べても運動でカロリー消費できる」といくらでも食べたものですが、今ではだめです。
私も考えが地味になったものです。


ところで、最近特に、人生の喜びって何なんだろうと思うんですよね。

ちょっと例え話をいたしますよ。

独身の方は幸いです。恋愛に対する夢がありますよね。
また、同じ視点で結婚している人は幸せですよ。幸せな充実感がありますよね。

私はそうした幸せ、反対の方から考えてしまう。

独身だと寂しくて不安で幸せではなく、結婚していると恋愛の可能性がなくなって幸せではない。

空腹話で例えましょうか。

お腹がすいている人は「これから何を食べようか」と考える楽しみがある。
満腹の人は「おいしいものをたくさん食べたなぁ」という満足感がある。

でも、私の場合、両者あんまり幸せだと思えない。
空腹の人は灼けるようにお腹が空いているにすぎない。満腹の人は、あと食べられない、食べる楽しみがない状態。

そんな解釈、思考回路になってしまっている。

病気、長期のダイエット生活、体内部に手術困難な心配なところがあるという不安とがが、私をそんな気持ちにさせているんです。

今の私を爆発的に喜ばせる方法はロト1等当選しかないのではないかと思ったりしているんです。

毎日ロトの数字を眺めています。

ロト予想には様々な手法がありますが、私は数字を擬人化して考えています。私の中ではロト6には43人の特徴のある人々(神さま達)が登場しています。すべてに特徴があり、その方々が誰誰とお食事に行ったり、向こうから華やかな着飾った人たちが来たら路地を曲がり、そしたら偶然誰誰がいて、なぜかしら「こんど○○さんと2メートル離れてお食事しましょうね」と約束を結んだりしているんです。

で、実際、ロト数字は出会う人により不思議なほど同じような動きをするんです。

でも、向こうから誰が来るのか、曲がったところに誰と誰がいるのかといった組み合わせが様々あって解釈が別れたりして、その組み合わせが複数あって、私の決めたお小遣いの範囲で網羅できなかったりするのがもどかしい。
でもいつか「あれっ、このパターン見たことがあるぞ」という瞬間を捉えたいと思っています。


今日も思うまままとまらない記事を書いてしまいました。

焼き魚

「好きな食べ物はなんですか」と問われたら、あなたはどうお答えになりますか。


私はちょっと前なら「ステーキ」と「お寿司」(粋に書くなら「鮨」)でしたが、恒常的にダイエットするようになってからは、そうですね、「魚介類」(魚貝類)とかなんですね(って「好きな食べ物」が「ぎょかいるい」ってアンタねぇ‥)
いや、でも、魚とか貝類は大好きなんです。あと、イカとか。
貝、イカは歯ごたえがいいんですね。

画像のような焼き魚、大好きです。


ところで、焼き魚と言えば、総理大臣の菅直人さんのプロフィールを拝見いたしますと、好きな食べ物が「焼き魚」なんですね。

一国の総理大臣の好きな食べ物が「焼き魚」なんですよ信じられますかアータ!!!(っていいじゃないか)。

でもオ‥、「焼き魚」なんですよ総理の好きな食べ物が‥モジモジ(くどい)。

いや、私、これを知ってさらに菅直人総理に親しみを持ちましたね。

政治家の好きな食べ物を見ると「好き嫌いなし」とか「地元の特産品の○○」とか、ありますけど、好きな食べ物を聞かれて「好き嫌いなし」と答えるのは回答になっていないし、地元の○○とかと答えておられるのは何か偽善っぽいと思うんですよね、辛辣ですけど。

かと言って、「ハンバーガー」っいうのも変だし、ストレートに「肉」とかも直接的すぎるし、かといって「焼き肉」なんていうのも十代の若者みたいだし。

かといって「ゼンマイ」とか「ワラビ」とか「山菜」とかいうのもヘンだし。

そういえば、プロレスラーの藤原嘉明(藤原組長)さんが40歳位の頃、雑誌のインタビューで好きな食べ物を聞かれ、「漬け物」「ヤマイモ」と答えておられたのには爆笑でしたね。


話を戻しますが、やっぱ政治家は「焼き魚」でしょう。いや、政治家=焼き魚ということではないですよ。「政治家の好きな食べ物」としては「焼き魚が適当」だと、私は申し上げたいのです(そうなのかっ)。

よく「おいしいお店」とか、「夏はカレーだ」とかの表現がありますが、ちょっと気になったりしている私はヘンですか。

厳密には「お店」が「おいしい」のではなく「おいしいものを出すお店」なんだし、夏=カレーなのではなく夏にはカレーがいいね、合うねということなんでしょう。言葉を省略、簡略しているわけなんでしょう。でも、これが日常的にふつうに使われていると、ちょっと違和感を感じたりするんです。これはやっぱりヘンですか。

話がズレました。

菅直人総理の好きな食べ物は焼き魚。これはすごく好感が持てる。

国土交通大臣の前原さんの好きな食べ物は「鰻」だそうで、これ、マニアックですがこれはこれで好きですね。


「だからなんだ」という記事でした。
カレンダー
<< 2010年08月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
アーカイブ