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執念のロト

私は以前、大間のマグロ漁師さんが命をかけて漁をして、やっと数百万円、1千万円とかのマグロを得るという例を上げ、そうした努力をして初めて大金を手にすることができるのだという話をいたしました。

世の中、楽して儲けている人もたまにはおりますが、ほとんどの人は身を削ってやっと初めて、お金を手にすることができるのです。

で、私も労働する以外に、ロトには半ば人生をかけて努力しています。予想しています。

お金もそこそこかけていますが、何より私の時間、今まで趣味とか勉強とか、新聞読んだり読書したり、はたまたドライブしたり散策したり…といった、そうしたことにかけていた時間のほとんどすべてを、今ではロト予想にかけています。

私の中では、ロトシックスの1等当選はもう、人生設計に組み込まれており、これを土台としてその後の計画が組まれているんです。ロトに当たらないことには、私の人生の第4ラウンドは始まらないのです。


皆さん。これって危険なことでしょうか。

日本で毎週数百万口買われ、やっと数人、下手すれば誰ひとりとして当たることもないような確率のロト6の1等当選、またはミニロトの当選を、人生の確信的な目標に据えること、これは危険なことなんでしょうか。


ええ。わかりますよ。これは非常に危険なことですよ。

当たらなかったらほんと、莫大な人生の損失ですよ。いろんな意味で。

「ロト当選を目標にするのはいいでしょう。でも、もっとバランスよく、他にも目標、楽しみをみつけたら。危険だよ、そんな当たるか当たらないかわからない、いや、当たる確率のほうが圧倒的に少ないことに人生かけるのは、危険だよ」ですって?

わかりますよ。


でも、体をこわし、いまでは気持ちにも病的なものを抱えてしまい、食べ物の幅もかなり狭まり、さらにトレーニングとかもできなくなって、あと、何か最近、恋することもなくなり、書店に行っても開く本すべてが面白くなくなったりして‥そうなったりしてしまった今、私が全力、全身全霊をかけることができるのは、ロトなんです。

もう、そう思い込んでしまっている。


わたし的には、もう、大間のマグロ漁師さんが3百万円のマグロを得るために費やす努力くらいはロト予想に費やしているつもり。
もう一息、そう思っているんです。
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