ロトを予想するためにホテルニューオータニの高層階に宿泊するなんて、バカげていると思いますか。
それをやるのが私。
いや、正確には私はそもそもホテルに滞在するのが好きなんですよね。趣味。
だってサ、あんな高層のマンションが欲しくて買うとすれば3〜4億ですよ。買うとすれば。
いや、あれだけ手入れの行き届いた庭園とか東京の景色を眼下に眺めることができ、ちょっと足を運べばラウンジとかバーとか、至れり尽くせりの環境があって、そうしたお部屋だったら購入価格は5億を下らないでしょう。
で、これからの人生数十年、その日数で5億を割ったら1日当たり3万とかですよ。
それ、毎日3万ずつ支払うのだと思えば1日や2日、数万ずつ掛かったとしても安いものです。
たまにこうして宿泊できるなら数カ月炭水化物断ちしても惜しくない。ラーメンも断とう。食べてないけど。実際、それくらいに思う。
帝国ホテルとか外国資本のホテルとかもいいんですが、ショッピング店の数とか庭園の雰囲気とかからすればオータニは魅力的ですよ。
また数カ月お茶漬けの素だけの生活でも(そうなのかっ)また来ます。
いや、先日の記事で私はカレー&焼肉定食一気注文の話を書きましたが、あんなことはめったにしませんよ。たまたまなんです。私って、サビれたお店を見ると儲けさせてあげたくなるんですよね。私なりに。
ところで。
話はぜんぜんと言っていいほど全く変わります。
実は今日、タクシーで銀座から神田に向かっている途中で、いくつか高架橋の下をくぐったんです。
で、とある高架橋の下、トンネルみたいなところ、進行方向左には人がやっと歩けるような狭い歩道がありましてね。
で、トンネルの内側の壁はおそらく排気ガスとか、粉塵とかで、かなりくすんでおりまして。
で、でなんです。
渋滞でノロノロ運転となったタクシーからふと横、左壁を見ると、上方、しかもかなり上の方に、妙な足跡があったんですよ。一つ。
それがですね、人間の足跡くらいの大きさなんですが、掌紋跡は人間の足あとみたいで、見ようによっては手の形みたいで、指がかなり長いんですよ。で、一つだけついている。
一瞬「ゾクッ」としましたね。
東京には地下鉄の掘削現場とかに時々、鬼が巣くうことがあるといいます(帝都物語かっ)。
いや、冗談抜きにして、あれはいったいなんなのでしょう。
きっと鬼の足あとですよ。
恐ろしいことです。
妙な終わり方ですが、終わります。
私は前回、「ロト数字には意思がある」と申しました。
これについて、皆さんの中には「チョ‥ボスゥ、またそんな情緒的なこと言っちゃって。プッ」などと思われておられる方も多いことでしょう。
まあ、多いと申しましても私のブログの閲覧数は数名くらいなのですがね。
実は今回もロト、驚愕と言えば驚愕の数字が出たのです。
今回第514回ロトの当選数字は
6、7、14、15、19、41、ボ31ですよ。
で、私のプログラム数字は
2から20までの数字だけで構成されており、なんと5口のうち3口が3数字合致、3000円当選しているのです。
金額は微々たるものですが、私が驚愕いたしましたのは、私がロト1から43まである数字のうち、20を超える数を選ばなかった予想、ほとんどこのとおり、今回の当選数字は6個のうち5個が19までの数字で構成されていたことなんです。
皆さん考えられますか。1から43まであるロト数字のうち、今回は5個が19以下の数字だったんですよ。
「そんなこともあるよ。数あるロトの抽選なんだから」とおっしゃいますか。
でも皆さん、ロトマニアでない皆さんはお気づきではないと思いますので申しあげますが、前回、第513回ロトの当選数字、驚きますよ。
1、6、12、14、15、19、ボ18なんですよ。前回もロト当選数字、1から19までの数字で構成されているんですよ!
これって、「単なる偶然」で片付けられますか。片付けられる事象なんでしょうか。あり得ないとお思いになりませんか。
これが私の申す「ロト数字には意思がある」と確信する、ほんの一事象なのです。
私は毎日、ロト予想は3時間以上、多い日では1日10時間以上行っております。見えないものを見る、これが占い師
としての私の宿命です(って宿命なのかっ)。そうしたロトの占い生活で何十回も私は「ロトにはほんと、意思があり、また人間くさい、気分屋のところが確かにあるなぁ(もはや当たり前)」と感じ続けてきました。
今では、「今回のロトさん、どんなことをして笑わせてくださるのだろう。ウフッ
」などとなぜかしら乙女チックになりながら、当たっても外れたとしても楽しめる余裕すら感じられるようになりました。
ロト、ほんとロト数字には意思がありますよ。皆さんもそうお思いになりませんか。
さあ。皆さんもご一緒に、明日からロト生活、してみませんか(微笑)。
ではまた。
私は今回のミニロト、第579回抽選数字を見て、戦慄を覚えましたよ。
やはり「ロト数字には確実に意思がある」としか言いようがありません。
14口購入し、6つ、約6千円当たったのですが、つまり5つの数字のうち3つ的中が6つあったのですが、それはすべて私の組んだプログラムによる当選数字なのです。
当てずっぽうではなく、プログラムで「これが出る」と確信して選択して当たっているのです。
で、私のプログラムは「ロト数字には意思がある」という前提で組まれているんです。意思がないとすれば全滅のプログラムなのです。
これで当たっている。
私の当選は近い。間違いない。
最近、夢の中に、私の前からなくなった方々が出てくるのです。
父親、父親の姉、義理の姉とか…
いや、なつかしい。(ってそういう問題かっ。)
あと、夢の設定、建物とか情景、これも、非常になつかしいものがあるんですよね。
皆さんはそうした夢をみて目覚めたとき、夢の内容を思い出そうとしたり、思い出して何度も味わったりすることがありますか。
私は特に、なつかしい感じの夢をみた場合、思い出したり、それを繰り返して味わったりするのが好きなんですよね。
夢の中では、見たことがないんだけど非常になつかしいような、不思議な感覚を覚えるものを見ることがありますよね。
こうした夢の世界が私の頭脳の中にあるのであれば、いつか行くあの世という世界も面白い、というか、いっぱいなつかしいものがあるのかもしれないな‥とか思ったりするのです。
いや、でも、あの世がなつかしいといっても、まだまだ私は行くわけではありませんがね。
さて。
皆さんは最近、ものすごく嬉しかったこと、やった!すごいすごい、うれしいなぁ、と思ったりすることってありますか。
私にはまったくないんですよね。
最近では3年ほど前かな、新車を買った時くらいですね。
こうしたよろこびとかの気持ち、あと何回味わうことができるのだろう。
思えば私の気持ちは乾いてしまったものです。
あー‥思いっきり「うれしいなぁ!!」という気持ちを味わってみたい。
心の奥底から思いっきり喜べるような、爆発的な喜びを、味わってみたい。
こうした気持ち、これを味わうためだけに今私はロトを予想しているのかもしれないな。
もちろん、ロト、一等当たったら私にはやることがありますよ。それは公明正大な、非常に大切なこと。
でも、まず、当たって、その瞬間の喜びを感じてみたい。それが私の今の最大の目標。
なくなった人、懐かしいこととかの夢を見るのも、乾ききった私の心が見させているのかもしれないな。でも、私は昔には戻ることができない。当たり前だけど。
今、私が喜びに満ちた心を取り戻すには、もうロト一等当選しかないのです。
私は以前、大間のマグロ漁師さんが命をかけて漁をして、やっと数百万円、1千万円とかのマグロを得るという例を上げ、そうした努力をして初めて大金を手にすることができるのだという話をいたしました。
世の中、楽して儲けている人もたまにはおりますが、ほとんどの人は身を削ってやっと初めて、お金を手にすることができるのです。
で、私も労働する以外に、ロトには半ば人生をかけて努力しています。予想しています。
お金もそこそこかけていますが、何より私の時間、今まで趣味とか勉強とか、新聞読んだり読書したり、はたまたドライブしたり散策したり…といった、そうしたことにかけていた時間のほとんどすべてを、今ではロト予想にかけています。
私の中では、ロトシックスの1等当選はもう、人生設計に組み込まれており、これを土台としてその後の計画が組まれているんです。ロトに当たらないことには、私の人生の第4ラウンドは始まらないのです。
皆さん。これって危険なことでしょうか。
日本で毎週数百万口買われ、やっと数人、下手すれば誰ひとりとして当たることもないような確率のロト6の1等当選、またはミニロトの当選を、人生の確信的な目標に据えること、これは危険なことなんでしょうか。
ええ。わかりますよ。これは非常に危険なことですよ。
当たらなかったらほんと、莫大な人生の損失ですよ。いろんな意味で。
「ロト当選を目標にするのはいいでしょう。でも、もっとバランスよく、他にも目標、楽しみをみつけたら。危険だよ、そんな当たるか当たらないかわからない、いや、当たる確率のほうが圧倒的に少ないことに人生かけるのは、危険だよ」ですって?
わかりますよ。
でも、体をこわし、いまでは気持ちにも病的なものを抱えてしまい、食べ物の幅もかなり狭まり、さらにトレーニングとかもできなくなって、あと、何か最近、恋することもなくなり、書店に行っても開く本すべてが面白くなくなったりして‥そうなったりしてしまった今、私が全力、全身全霊をかけることができるのは、ロトなんです。
もう、そう思い込んでしまっている。
わたし的には、もう、大間のマグロ漁師さんが3百万円のマグロを得るために費やす努力くらいはロト予想に費やしているつもり。
もう一息、そう思っているんです。