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禍福はあざなえる縄のごとし

今喫茶店で勉強中。



ごぶさたいたしております。イ・ビョンホンことボスです。


禍福はあざなえる縄のごとし。

先週のとんでもない事態からだいぶ回復いたしました。

傷口が徐々に癒えるように、トラブルの結果も時の流れによって修復されるものです。


禍福はあざなえる縄のごとし。

いいことがあってもはしゃぐことなく、また、わるいことがあっても風向きがかわるのを待つ。わるいことがあってもたいていはしにはしない。


ところで。
私は昔からいいことがあってもはしゃぐことはしない人間だったんですね。
小学生の低学年のころ、いいことがあってはしゃいでいたら、思いっきりころんでしまい、そんなことがしょっちゅうあったんですね。いいことがあっても、すぐ痛い思いをしたりする。「はしゃいでいたから何かに羨ましがられたのかな」、とか、「ばちがあたったのかな」、とか、子ども心に思ったんでしょうね。
そのころからいいことがあってもはしゃぐことはしないようになりました。いつも心むなしくして過ごす子ども。これはきっといいことではないと思いますが、なんというかな、そんなニヒルな子どもだったんですね。

だから大人になっても、例えば大藪春彦氏の「蘇える金狼」でしたか、「野獣死すべし」だったかで、「絶望という苦杯をなめるよりは最初から何も期待しないほうがましだ」という文章があったりしたら、ほんと共感したりしましてね。

川島英五さんの「時代遅れ」とかの歌詞で、「目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず‥」とかの文言があったりするのに妙に共感したりして。


反面、わるいことがあったら、こんなもんだよ、とか納得したりして。


これっていいこと、いい心構えだったのかそうでなかったのか、いまだに判断がつかない。

「子どものころから綱につながれている象は、大人になってその綱を切って自由になる力があっても、もはやそうしたことには思いが及ばない」とかのことばがありますが、皆さんにはそんなとらわれの意識はありませんか。



あっ、オーダーしたドライカレーがきました。
それではまた。
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