いつもロトの話ばかりですみません。
気分を変えて、今回はボスの2009年2月19日の記事でお楽しみください。
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うちの近所に白い犬がいるんですが、その犬、尾も白いんです。おもしろい‥話‥ナンチャッテ…
………
ああっ‥ごめんなさい。知ってました?やっぱり。
じゃ、じゃあさ、このなぞなぞ知ってますか(動揺)
ある女の子(現在5歳、もうちょっとで6歳)が風邪をひき、窓の外を眺めていたら、お腹が痛くなりました。そこに牛が来て「モー」と鳴き、「チョウ」がお見舞いするようにヒラヒラ飛んできました。さあ、女の子は何の病気にかかったのでしょう。
ええ。決まりですね。小学生向けのなぞなぞですよ。はい。わかる人。
おおっ!はい、どうぞ。
はい。吾郎さん!答えは盲腸ですっ!「モー」と「チョウ」だから盲腸ですっ!
…はい?
だから盲腸ですっ。
…は?答えは風邪ですよ。最初に言ってるでしょう風邪って。牛がモーとかチョウチョさんがヒラヒラなんて惑わされてはいけませんよ慎一くん。
って、そうなんです。世の中そんなにドラマティックじゃない。まず客観的事実を冷静に心むなしゅうして単純化して捉えよ、枝葉末節に捕らわれるなということですね(エラソウニイウナ)
ところで全然関係ないかも知れませんが、昔話とか童話って逆に奥深いですよね。こちらは単純な話から深く洞察しなければなりませんよ。
例えば「かちかちやま」。いたずらタヌキがおばあさんをポアし、超残酷なことに煮ておじいさんに食べさせ、そのことを知って超悲しんだおじいさんを見かねたウサギが復讐して最後は泥船で沈めるという世にも恐ろしい話と聞いてます。
いつもタヌキが悪者にされてますが皆さん、よく考えてみてください。タヌキがいきなりおばあさんを殺害し汁物にしておじいさんに食べさせると思いますか。いきなりそんな極悪非道なことしますか。そこなんですよキーは。
私どもの研究ではこうなってます。
まず「タヌキ」と言えば「タヌキ汁」という連想は田舎のひいおじいさんとか簡単に浮かぶように、タヌキは昔から貴重なタンパク源として人間に食されていたわけですよ。
人間がタヌキを食べるのは当時の人間からすればポピュラーなこと。何の罪悪感もない。
しかしタヌキからすれば最悪の事態ですよ。
物語の前段にはタヌキさんが身内、おそらく配偶者とその息子(三男)がおじいさんに食べられている事実があったと見てるんです。
で、おじいさんからすればそうしたこと日常茶飯事。すぐ忘れてしまうこと。「あー、うまかったシーシー、チッ(つまようじの音)さてと。裏のおばあさんにちょっかいでも出すかな」なんて。
でも殺られた側の身内は煮えくり返る思いでしょう。そうした背景があって初めて行われたタヌキの犯行なんです。
で、この話、単なる復讐でも、単純な復讐の復讐という話でもなく、要は「因果応報」の話なんです。今度はまたタヌキの身内がそのウサギに復讐するという。この繰り返し。因縁が繰り返されるというカルマの恐さを暗示している話だと見てます。
他の説によると「タヌキ」はおじいさんから、ものすごく虐げられた人の長男、「ウサギ」はおじいさんの娘のフィアンセで知恵者というのもある(民明書房刊「うそはいかんよ」より)
「因幡の白ウサギ」、ウサギがのけぞったという。イナバウアーなんて。違うか。この「因幡の白ウサギ」の話だってそう。
サメを単に軽く利用して対岸に渡ったウサギが約束かなんか破って、サメに皮を剥がれてしまうとか(そのへんあいまいミー)の話。
同じく私どものグループの研究(コーヒー飲みチーズケーキ食べながらのダベリング)では「ウサギ」は若さを売り物にして婚姻をチラつかせたプレイガール、「サメ」はその女性から婚姻するとだまされ、結局なけなしの金をごっそりだまし取られ、最後は「婚姻なんてウソで〜す。んなわけないじゃん。あんたらは私のアッシー以下よ。サラバ」と結婚を破棄された漁師村の若衆複数人(同様に金を騙し取られた若衆の集団)と見てます。
すべてウソですからね。冗談ですよ。学者じゃあるまいし。ねぇ
そこらへんに転がっているかんたんな昔話にも深〜い背景があると妄想するとおもしろいのです。
さあ、みなさんも私どもと一緒に妄想してみませんか
(笑)