スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

夢占いと夢の神秘

ボスリバイバルシリーズ。
2009年2月24日の記事。
このころは12時間くらいかけて記事書いたりしてました。

今の時期、ワインなど傾けながら、こんなことをとりとめもなく語り合いたいものです…
・〜・〜・〜・〜・〜・〜

カキ鍋‥
アツアツ、プリップリのカキです。熱いうちにどうぞ

さて。今日は取りとめもなく夢に関することを書こうかな‥。

まず、夢占いって当たるんだろうかということなんですけどね。

私個人としては「当たって欲しい、その方がロマンがある」という気持ちはありますよ。

でも、悲しいことに「世の中そうドラマチックなことってあるだろうか」という気持ちもあったりして‥。

夢占いの本についての感想なんですが、私、複数の夢占いの本を持ってますけど、内容がまちまちな感じがあるんですよね。

何の分野にも学説というものがあるわけで、複数の本の間に解釈が違っているものがあったら「そういうこともあるんだろうな」と、本の間で共通する、最大公約数的な意味合いで判断するようにしているんですが、でも解釈としてはイマイチな感じもあるんですよね。

夢占いの本では対象が物である場合、その物の一般的な特色とかイメージで解釈が行われていたり、西洋的な見方で解釈が行われていたりすることが多い感じがするんですよ。

特徴的な例でいうと私、カニ、それも油ガニを捕まえる夢と、あとお金を拾う夢をよく見るんです。

本によるとカニは多産の象徴、お金は恋愛を求めているらしい。
見ようによっては当たっているかもしれませんけど、でも違うんですよ。

カニが多産なんて私の眼中にはないんですよ。「そういわれるとカニの卵はすごい数だから、そりゃ多産だろう」とは思いますが、多産なのだったら魚とか昆虫とかいろいろあるでしょうし。

私にとってカニは子どものころ、病弱で床に伏していた父の薬代を稼ぐために蟹工船に身売りされ、ロシア海域で密漁させられていた時の苦い思い出があるんですよ。

ウソですよ。えっ?誰かこれ信じました?プッ。いやだなぁ。今どきないですってば蟹工船に売られるなんて。プロレタリア文学じゃあるまいし。ねー。

でも、カニって私にとっては子どものころの遊びとしてカニ釣りが好きでカニイコールわくわくする収獲物の象徴として私の中に固まっているんですよ。

で、お金、特に百円玉とかの小銭を拾うのも子どもの頃のインパクトのあるすごい喜びの経験という感じて印象に刻み込まれているんですよね。

このように「見た夢の中の“物”に関する解釈」は人それぞれ違うだろうと。それを一般的なイメージとして一くくりにして解釈するには難があるんじゃないかと。そう思うわけです。

物に関するイメージって人それぞれですから。
で、その物にまつわる連想も人それぞれ。

私の例で言うと、カニ→収獲、お金→拾うという連想。
だから夢占いの本については誰にも当てはまる内容として説明するのには難があるんじゃないかと思ったりしています。

あくまで私個人の考えですからね。

個人での夢占いだったら可能な場合ももしかしたらあるかもと思っています。

見た夢についてデータを蓄積して統計的に「こういう夢をみたらこういうことがある傾向がたま〜にあることもあるかな」という感じで占うのならありうるでしょうね。

追われる夢を見たときは何か心配事がある、出てくるとか。

夢の内容について、人が膨大に見、聞き、感じ、思っている情報の中から、なぜよりによってその人がそういう傾向の夢を見たのかには意味というか理由はあるかも知れないなと思います。具体的な理由という意味ではありませんけど。

それにはイメージとして良かれ悪しかれ、志向が関わっているのではないかと。
志向とは好みとか希望とか不安とか恐れとか。

例えば、新聞とかの膨大な活字の中から自分の気になる単語が浮かび上がるというか目に付きやすいというか、そうした感じで感性に無意識に引っかかったものが「志向」で、それが夢に出てくることが多いんじゃないかと思ったりして。

まあ、そう単純にスパッと言えるわけでもありませんが、そういう傾向はあるんじゃないかと。

で、無意識ってすごいものがありますよね。

例えば視覚については意識しなくて見ていたものでも、または意識して見て忘れたように思っていたものでも、再び見た場合「あっ、これ見たことがある」と覚えていることが多いように、記憶しているものがすごく多いんですよね。

聴覚だって例えばニュースで陪審員制度のことをやっていて、なにげに耳に入っていただけで夢に裁判所とかが出てきたり。

いい忘れたけど視覚でもサブリミナル効果というものもある。

映画館での映画のコマ、確か1秒間24コマのうちに1コマだけコカ・コーラの映像入れたら映画館のコーラの売り上げがすごく増えたとかの事例があるらしいけど、そうした見えていない、記憶していないようなことが実は記憶されていることがある。

そうした膨大な情報の中から良かれ悪しかれ何か個人の無意識の志向によってピックアップされたものが夢に出てきて、それらから連想することとかが複雑に絡み合って夢の内容を構成しているのではないかと思ったりしてるんですよ私は。

だからといって私は夢の神秘性を決して否定するつもりはありませんよ。
予知夢とかね。あると思うんです。

予知夢がなぜ構成されるかには2つあると思う。

1つは入手した膨大な情報を、無意識に経験、勘とかに基づいて推理して将来を推測する物語が構成されるというもの。

もう1つは神秘的な啓示ですよ。説明できませんが。そうした面があるだろうと。


以上、証明できないことを単なる想像でだらだら述べましたが、実は書き始めて「いや、これは失敗したな、夢について割り切れるような話なんてとてもじゃないができないな」と思ったのです。
でも、気付いた時点ですでに12時間くらいかけてしまったのでやめるにやめられなくて。後悔。

はっきりいって、夢占いって、膨大な脳の情報から考えると大海に泳ぐ魚のうち単に一匹見た魚から海を分析するようなもの。ムリ。

これで「何が起こる」とか予測なんてできるはずがない。予測しようとすること自体に無理がある。

覚えている夢ってほんの僅かだし。

ただその魚が黒潮を泳ぐ回遊魚だったらその近くには黒潮の流れがあるということくらいは占う(推測する)ことができることがあるかも知れない。
恐い夢を見る時は日中心理的に追い込まれているとか。

その程度だし、それが外れていることも多々ある。

でも、私は夢には非常に不思議な魅力を持ってますし、尊重しています。
不思議でおもしろい。無限の楽しみがある。

毎朝見た夢を思い出し、なぜそのような夢を見たのかじっくりと味わい楽しんでいるのです。


読んでてお疲れになったでしょう。まどろっこしくて‥。ごめんなさい。

私も書いてて疲れました…
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2011年12月 >>
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
アーカイブ