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朝の風景から感じたこと

潮風が香る海沿いのドライブインのアツアツの焼きイカです。

よろしければご一緒にイカがですか‥。



さて。

朝、職場に向かう途中の道沿いの中学校で、野球部の少年らがいつも朝練をしているのです。

私が車で通過するころは、キャッチボールをしていることが多いのです。

皆が皆、小さなボールを投げて、キャッチして、また投げている。

野球って、あんな小さなボールを使って、追って、一喜一憂するスポーツなんですね。

で、少年らは、白い球を追ったりして、青春の貴重な時間を消費している。


時間がくれば道具を片付け終了。

残るのは心地よい疲れとか、あと野球技能とか。
あと、連帯意識とかチームワークとか礼儀とか友情とか。


多くは形に残らないもの。


でも、彼らは多くのことを得ているのだろう。



思えば私も、形の残らない多くのことをやってきた。

私の場合、今思えば、ほんと膨大な無駄な時間を過ごしてきて、かなり後悔したりしている。


私は昔は、例えば、ジグソーパズルをする友人を心の中で、「あんなことをやってどうするのか」とか、「全く時間の無駄なことをしている。無意味。」とか思っていたけど、よく自分の行動を考えると、私だってほとんど形の残らない、無駄なことで時間をかなり費やしてきたように思うのだ。
(ジグソーパズルをする人を今は軽視しているわけではありません。私だってロト、ミニロトでずっと数字だけを眺め時間を費やしているのですから。)



で、ある時期から私は、しょっちゅう、「自分は無駄なことをしてきたな」と激しく反省するようになってきていたのです。


でも、今日、中学生の朝練の風景を見て、一見無駄な時間を過ごしているように見えても、あれはあれで集中し、さまざまなことを得、人生の成長の糧になることをしているのだなと、私もあんなことを繰り返してきたのだなと、あれはあれで無駄なことではないのだなと、そう思ったりしたんですよ。


私はここずっと、ほんと、「思えば人生無駄な時間をすごしてきたな」とことあるごとに落ち込んできたのですが、人って、思えば形に残らない、一見無駄に見えることで人生を構成しているのではないのかな、それが人生なんじゃないのかな、とか、思ったりしたボスの朝なのでした。
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