スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

賞味期限切れのお弁当

画像はボスの珈琲タイム。
記事とは関係ありません。


さて。
先日、お昼、売店に向かっているときに後ろから声をかけられたのです。
後輩(女性)に。

「ボスさん。お弁当、買われるんですか」と。

ボス「ん。そうですよ。」

後「ああ、よかった。実は今日、組合の会議がありまして、お弁当が出るんですが、私、それを忘れてお弁当持ってきてたんですよ。お弁当と言っても、スーパーのカツ丼弁当なんですけど、食べてくれませんか。」


ボス「…そ、そう。わるいね。」


一瞬、いやな予感がしたのですが、スーパーのカツ丼弁当と聞いてちょっとほっとしました。

私はじつは、素人さんの作ったお弁当を食べることができないのです。

小学校1年の頃からそうでした。
小学校1年の遠足の前の日に、私の母が職場の旅行で泊まりで、そのため母が近所のおばさん(親戚でない)に私の遠足のお弁当作りを頼んだのですが、私はそのおばさんの握ったおにぎりを食べることができなかったのです。
いや、遠足先で無理に一口食べて、でもはいてしまった。
他人の作ったお弁当、しかも、素手で握ったおにぎりなんて、とてもとても、いまだに食べるなんて無理なのです。


「いやな予感」というのは、以前、後輩はやはり組合の集まりでお弁当が出るから、と、自分の作ったお弁当を私に「食べて」とくれたのです。

それは、お昼直前に私のデスクに彼女が来て、回りの人がいる前でくれたもので、私は食べないわけにはいかず、苦渋に満ちながら、ドラえもん蒲鉾とウインナーを食べて、他は口を動かしながら食べるふりをしてあとはバレないようになんとかうまく処理をしました。

とにかく、私は素人さんの自家製の、どんな環境で、どう作っているのかわからないお弁当、食べ物は食べることができない人間なのです(これを読んでくださっているあなたの弁当を除きます(笑))。


で、今回はスーパーのカツ丼弁当と聞いて、ホッとしたのです。
スーパーだとおにぎり握るにしても大量の、炊き立てのご飯を冷まして、手にビニール手袋をして握るし、お弁当にしても衛生面で安心です。


で、売店前からデスクに戻り、カツ丼弁当をもらったのですが、そのカツ丼弁当、昨日の夕方のバーゲンセールで50%オフの225円、賞味期限が昨日の20時で切れているカツ丼弁当だったのです。

……

悩みましたね。
瞬時に食べなければならないだろうな、とは思いましたが。
ここで「Tさん、賞味期限切れだよーアッハハハ‥」なんて言えませんよ。それを言ったら相手に恥をかかせてしまうし、私の男としての器が疑われてしまう。

数日前に見た旅番組で美人のボランティア活動者がアフリカで現地人から出されたキャタピラ(イモムシ)の焼いたものをイヤな顔もせず食べていたのを思い出したりして。
相手から出されたものを食べるのが最良のコミュニケーションをとる方法なのはわかっているし。
据え膳食わぬは男の恥とも言うし。



食べましたよ。衣が白くなった、お肉自体がパサパサの、ご飯が柔らかくぬるい感じのカツ丼弁当を。
回りに部下らもいるし。

ご飯は半分残しました。

で、食べたあと、後輩に「Tさん、ごちそうさま。ありがとう(グッジョブ、ニコッ)」という感じでお礼を言いました。



皆さん。あなたは部下とか後輩からお弁当をもらい、それが賞味期限切れだったらどうしますか。
賞味期限切れ後15時間経過した夏場の弁当だったらどうなさいますか。

相手を傷つけず、やっぱり食べますか。

それとも、賞味期限切れのお弁当をくれた段階で相手はこちらを軽視しているととらえますか。

相手は賞味期限切れ15時間くらいは賞味期限内だと思っている人間かもしれません。


気持ちとか器はいい人なんです。
波長も合うし。


私はこれから、彼女からお昼ころ声をかけられるのがちょっとビクビクです。

「私のお弁当、食べてください」はめったにないことだけど、これからもやはりありうることだし、そのとき私はどうしたらいいのだろうか…。

ホルモンの話

生物学的なホルモンの話ではありません。

放るモン、つまり食肉として昔は使用しなかったという発音を語源とした、お肉系のホルモンの話です。

画像のホルモンの話です。
小さいでしょう話が。

でも、今日は他に勉強があるので軽いテーマで書いてみよう。


昨日、今日と、うちの地域ではお祭りのフェスティバルがあったんですね。

私は昨日、職場帰りにちょっとパレードをみてみようと思ってお祭りに行ったのですが、朝からサンドイッチ1パックしか食べておらずおなかがすいていて、そんなところで屋台の兄ちゃんらが鉄板で焼きそばとか焼き鳥とか焼いていて、そうした中でひときわおいしそうな香り、煙を上げていたのが画像のホルモンを焼く鉄板の屋台だったのです。


ホルモンはジュージューと焼かれ、脂がはぜ、そして甘辛そうなおいしそうなタレがかかり、更に焼き炒められて、いいツヤになり、いい香りが立ち上り、それはそれはおいしそうだったんですよ。


でも、その屋台、他に作っている焼きそばの値段は500円と貼られているのですが、問題のホルモンの値段は貼られていなかったんです。

そして、ホルモンを焼いている最中で、その包装パックである透明のセロファンのパックにどれくらいの分量が入り、それでいくらになるのかわからなかったんです。


まあ、私の中では500円だろうと。
でも、私はこのホルモンを家に持ち帰り、晩酌のつまみ、まあ晩酌と言っても牛乳なんですが、その牛乳のお供にするにはどれだけの分量が盛られるのだろう、生の豚ホルモンはふつう、グラム(100グラム)60円ほどだし、その費用対効果とかも考えなければだめだ‥とか、屋台のちょっと斜め、お店から1メートル50センチメートルくらい離れて、冷静に考えを巡らせていたわけです。


と申しても皆さん。ここで「ボスさんって案外小さいな」とか誤解していただいては困る。

私は真においしいものには1食5万円は惜しまない人間です。お寿司だって次郎さんところなら惜しみなく行く人間ですよ。

でも、私には、払わなくてもいいものには払わない、という信念がある。

サバの缶詰めが、今買い物しているA店で187円であるところ、明日寄るB店で148円で販売しているなら明日まで待つ人間ですよ。もちろん缶詰めは10個単位で購入します。


話がズレました。
で、私はホルモンの屋台の前で考えを巡らせていたんです。


そのときです。


いがぐり頭の中学生ら3人が次々に「ホルモンひとつ」「ボクも」とか、あっさり頼んで、買って行ったではありませんか!!!

私が何を興奮して記事、書いているのかと申しますと、無収入の、親からおこずかいをもらっている中学生の少年らが、ストレスに耐え勤労し稼いでいる私が購入を躊躇していた大人のひみつの食べ物、ホルモンを、いともあっさりと、何の方程式も、費用対効果も、量の把握もしないまま、速攻であっさりと購入して行ったという、この驚くべき事実なんですよ。


私は自己の価値観が崩壊するのを覚えましたね。


ホルモンはしゃもじでサッとひとすくい、95グラムほどだったと思います。
あれは高い。



でも、あれ、銀座の小料理屋さんで小さい信楽焼に半分の量乗ってきたら1200円は出すんだろうなぁ…


私もホルモン1つ、買いました。


ま、そういう経験をしたボスでした。

映画「ベスト・キッド」を見て

抹茶アイスを和の空間で。ご一緒にいかがですか


さて。さっき金曜ロードショーでベスト・キッドを見たんですがね。

だいたい1年くらい前の封切り時から見たかったのですが見られなかった映画で。

今日見ました。

予想どおり、以前見たダイジェスト版で予想していたとおり、おもしろかった。


ジャッキー・チェン。いい味出してました。

年配の、得体のしれない人、実はカンフーの達人とかに、若い人が技を教えられる、という物語はジャッキー・チェン主演映画でたびたびありましたが、今回はジャッキーご自身が得体のしれない人、カンフーの達人ですよ。

ジャッキーもそういう年齢になられたということなんですね。

でも、ジャッキーからカンフーを教えられるのなら、効果は完璧です。


映画を見ていて、ほんとジャッキーには味があった。

人生において、ジャッキーみたいな、あるいは今回のジャッキーの役柄にあったような、その世界の超一流の経験を持った人間にものを教わるという経験は、めったにないことでしょう。


世の中には、もちろんカンフーに限らず、様々な道での達人がおります。

で、そうした達人の大部分は、地味に活躍し、そして地味に年老いて、そしていつしか地味に消え去っていくものなのです。


私はこれって、ほんともったいないことだと思う。


その人が、人生かけて築いた経験や技術は、ほんと財産です。無形文化財みたいなもの。

経験を積んだ人には、それぞれ無形の文化財があるんですよ。
長い年月、紆余曲折、試行錯誤して学んだ、築かれた無形文化財が。


これを若い人に効果的に伝えていく仕組みとかが、これからの世の中には必要なんじゃないでしょうか。


もちろん、若い人にはそれぞれしなやかな感性があり、それを先入観とか既存の価値観で固めるのは、若い人の可能性を狭めることにもなり問題ですが、それとは別に、やはり先人が築いた経験のエッセンスみたいなものは後世の人に伝えるすべがあっていいと私は思う。


ジャッキーみたいなそうそうたる経験を持った人からもの、わざを教えていただけるのはすごいことです。

私もいつか、何かの道で、若い人に私が学んだことを教える機会があれば、これは一生懸命に頑張りたいな、と思います。

ベスト・キッドのジャッキーを見て、そう思ったボスでした。

ロトと会話する

昨日のロトは10口2千円の投資で4口4千円の当選だった。

画像の下から2番目の選択数字は今回の当選数字3等スレスレで、もうちょっとで58万7千円獲得だった。


ロト、投資金額は回収している。

競馬、パチンコと違い、ロトで投資金額を回収し続けることはふつうはなかなか難しい。


私はロトと会話している。

毎週14時間は数字ばかり見ている。
1日平均2時間。

私の中で、ロトとミニロト数字は物語を構成している。
数字の物語を。


ロト数字はジルバを踊ったりする。

あと、子どもの数え歌みたいに2、3、4、6、7、9‥とか、ときどき数字を間違ってとばしたり、それ以前に律儀に順番を追って数字を出してきたり、それはそれは意思がある、恣意的な出方をしてくれたりするのです。


私は以前、病院の前で、数百円単位の商売をなさっておられる焼き芋やさんを見て、「私は実のない無意味な投資をロトにしているのではないか」と自問自答した記事を書いたことがあるのですが、もはや今となっては私は献血のように、募金のようにロトに投資することに抵抗がなくなりました。

ロトはある日思い立って購入して当たるというのは私はまず、ないと思っています。

それができる人はまさに当たる運命を持っていた人。めでたい人。

ふつうは運命をつくらなければならないと私は思ってます。
そのためには徹底的に予想し、購入し続けなければなりません。
そして経験と実力をつけて運命をつくらなければならないと私は思っているのです。


私ほど数字ばかり見ていると、もうロトの過去の当選数字の流れは映画を見ているように楽しめる物語。
さらに私はロト数字に姓名判断の画数が示す数の霊意も含めて楽しみます。


私はいつか、ロトの神さまとバッタリ出会いますが、そのとき神さまがどんなお姿で、何とおっしゃってくださるのか、ほんと楽しみに思っています。

泣いても一生、笑っても一生

この海に入ったら気持ちいいだろうな…






ハッ


変な意味じゃありませんよ。




皆さんこんばんは。

最近の記事でいままで積み上げてきたものが揺らいでいるのを感じているボスですが。

いかピーとかざる中華とか夢見の話とか。




昔はこうではなかった。

人生を語っていたように思う。



最近、やはり仕事によりかなりストレスを感じている。

朝、仕事に行くのが非常に不安なのだ。


何かよくないことが起きるような気がして不安。

特に、行事があるときは不安。

仕事のことを考えると動悸がしてくる。

で、いやーな気持ちになってくる。

非常に不安になってくる。


仕事に楽観的に臨める人は幸せだ。


仕事に対しては、常に「悲観的に準備して、楽観的に行動しよう」と努めている。

でも、やはり気持ちは「悲観的に準備して、悲観的に行動してしまう」ことになるのだ。



泣いても一生、笑っても一生。

どうせ暮らすなら笑って暮らさなければ損。


いつか私に、笑ってすごせる日がくるのだろうか。
カレンダー
<< 2012年09月 >>
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
アーカイブ