トリトンガ…キタ…
って相当古いぞボス
それよりこの意味、わかる人がいるだろうか(笑)。
画像はクラゲです。
さて。
今、うち、家にいるのですが。
静かだ。
プーちゃんも丸まってお昼寝している。
こうしていると、いろいろなことが思いうかぶ。社会では多くの人があわただしく活動しているんだろうな、とか、今の時間、職場ではみんな忙しく働いているんだろうな、とか。
でも、私はこうして、孤独に、静かに珈琲飲んだりしながらあれこれ考えるだけで、家に止まっている。
昔から私はこうして孤独な時間をすごしてきた。
何のさびしさもない。
こうしていると、たまに、現在、私みたいにすごしている他人はどんなことを考えているのだろう、思っているのだろう、と思ったりする。
でも、それを知るすべはないので、気晴らしにブログとかをたまに眺めたりする。
ところで、ブログと言えば、私は明るいだけのブログってあまり興味がない。私にとってはまぶしいだけだから。
デコ多用のブログも私にとってはつらい。近寄りがたい。
男の、もしくは男が集うブログも近寄りがたい。
そもそも男には近寄りたくない。妙な話。
しかし男性でも中には起承転結、構成、読ませることを意識した記事を書く方が極めてまれだがいらっしゃり、それはブクマして読み、足跡は消すようにしている。
ついでにブログについてわがまま勝手に言えば、どこの誰だかまったくイメージできない他人が、自分の行動を短く綴っているだけのブログにも、個人的にはまっったく興味がない。雑踏の中聞こえてくる雑談みたいなものに過ぎない。
ブログについて、欲を言えば、グチとか失敗談とか、なにかもっとこう、生々しい、喜怒哀楽、愛憎とか、秘め事的な、自分の内面とか体験とかをひっそりと綴っているブログとかに非常に興味とか親しみとかを覚える。
密かな日記調の記事とかもいい。
こうしたこと、変な話、食べ物で例えるなら、ファストフードとか菓子パンとかの記事にはもはや興味がなく、私が真に見たいのは、妙な例えだがスローフード的な、発酵食品的な、予め構成が練られたツウっぽい記事、これが読みたいということ。
でも、そうした味のある記事を書く人に限ってこじんまりと、あまり他にも足跡をつけないので、なかなか巡り合うことができないのだ。
足跡をあまりつけないのは好感が持てることではある。
ところで、私が今までブログを見てきて、なかなか印象深かったブログがあったのだが、それは、だんなさんの不倫について、淡々と、しかもご自身の脆さも隠さず綴った、女性の記事。あくまで一例。
このブログ、見る側としては、興味本位とかそんなレベルではなく、こちらも感情移入し当事者になって本気になって厳かに見るような感じになる、すごみのあるブログだった。見ている方は数人レベルだったと思う。
結局、そのブログはご本人の予告どおり消滅したけど、すごいブログだったと私は思っている。
ところで、ブログの構成というのはブロガーさんが思うまま、相当公序良俗に反しない限り自由に作っていいものだと思う。
で、見る側は見せていただくだけで御の字のもの。
コメントも決して批判的なものはしてはいけない。
見る側は、淡々と見、好みに合わなければ近寄らなければいいだけのもの。
あなたも、こうしたブログ世界で、たまに「おっ」と思う記事に巡り合いたいと思いませんか。
で。
今回の記事はネクラな気分でその時の気分で書いたものです。
ブログって、その記事がその人の思考のすべてのように見られたりするけど、そんなことはありえませんよね。
人の思考はほんと気分屋でなんとでも変わるし、そもそも記事って、例えるなら日常百万遍しゃべるフレーズのたまたまの気分でしゃべる一文のようなものにすぎないし。
本人もしゃべったことを忘れるレベルのものですよ。
ブログ記事ってそんなものでもあるのです。くれぐれも今回の記事はたまたまボスがひまつぶしに書いた戯れ言だ、とだけ思ってください。