「わぁー、このパンおいしそう。」
若い娘さんらしき女性と、その母親らしき人の華やいだ声が背後から聞こえた。
すかさず上背のある、背筋の通った自信に溢れたおとうさんが、トレイにそのおいしそうなイチゴカスタードブレッドを無造作にどんどん取り入れていった。
あっというまに5個取り込んだ。
その後も娘さん、妻の声に応えるように、たくさんのパンを取り込んでいった。
ここは地元のオシャレなホテルのパン屋さん。
明るい店内、いい雰囲気。
じつは私もイチゴのカスタードブレッド、食べたくて、「何個買おうかな。」と考えている最中だったのだ。
あっ、と思っていたのだが、9個あるうち5個だけでよかった。
私も負けじとすかさず残りの4個のうち3個をトレイに取り寄せた。
幸せそうな家族。
立派な、闊達な、自信に満ちた、おそらく社会の第一線で活躍しているのであろう男性。
奥さんは...
あっ、と思った。
私の大学時代のあこがれの女性だったのだ。
同じ茶道部だったその女性、社会人から大学に入りなおし、とある分野の資格をお取りになり、医学生と一緒に卒業し、大きな家族経営の病院に嫁いで、資格を生かして頑張っておられることを、その女性のお茶屋さんをひらいているご親戚から聞いていた。
病院は他県にあり、私は当時、残念に思った反面、そのあこがれの女性のお幸せを祈ったものだ。
女性は、私が、比較的競争率の高い試験に運よく合格し、就職を決めたときに、ほんとうれしそうに、手をたたかんばかりに、実際手をたたいてお祝いのうたを歌ってくれた。
そうした思い出が、一瞬のうちに思い出され、私はとても深い感銘、感慨にうたれた。
でも。
声はかけられなかった。
女性のお幸せな姿を見、私は声をかけるべきではないと瞬時に思った。
彼女よりも幸せでない自分が声をかけるべきではない。
なぜかそう思った。
家族の楽しい時間をじゃますることにもなるし。
ひさびさに拝見した彼女のお顔はあいかわらず美しく、気品にあふれ、そしておだやかで、すてきだった。
ほんと、幸せそうだった。
旦那さんも家族思いの立派な男性。
よかった・・・
イチゴのカスタードブレッドをいただきながら、改めて彼女のことをしみじみ思い出し、変わらぬお幸せを祈った私だった。