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時空を超えた記憶

香り高いイタリアンブレンドをモンブランとともに。あなたと。



さて、標題の時空を超えた記憶の話なのですが。



以前お話しいたしましたか。
私は港町に生まれましてね。

港と申しても、大きな港ではなく、漁港ですよ。
大勢の漁師さんが船に乗り込み、大謀網で魚をとり、それが町を活気づけている、そうした漁港、港町なのですが。

私は幼少の頃、よくその活気がある港の、大勢の漁師さんが寝泊まりする飯場に遊びに行き、そこで炊かれるごはんの大釜にくっつく香ばしい、おいしそうな香りのするおこげを3時のおやつにいただくのを楽しみにしていたものでした。

ほんとよく遊びに行ったものです。


さて。
そんな漁港の裏側には小高い山があってですね。その、小高い山のすそには、神社があったのですが。古い神社。大漁を祈願する神社だと思う。

当時の私は小さな子供だから、神社にはなんとなくこわい、厳かなイメージがあって。

その神社はいつも、ひとけがなく、静まりかえっている状況があって。

実際は、一定の時期に漁師さんの祈願とかに使われていたり、祭祀に使われていたことを後で知ったのだけれど。

でも、私はその神社、幼少の頃には数回しか近づかなかった記憶があって。



そんなある日、夢を見たんですよ。


その神社がある土地が更地、そう、海の近くだから海砂の更地で、そこは広々とした、海風で樹木も生い茂っていない、枯れたハマナスとかしか生えていない砂の更地で。

で、そこから上の方にずっと砂の山が続いていて、松かなんかの樹木がだんだんと繁茂していって、それが山の上方に続いていて。


で、その山の上の方に、すごく大きな神社、高床の、丈夫な柱のりっぱな神社があって、そこには大きな太鼓が二つあって、そこに立つと、すごく見晴らしがいいんですよ。

そして、すごく懐かしい気持ちがして、とても落ち着く。

そんな神社の夢を見たんですよ。


で、不思議なことにたまにその神社の夢、同じ風景の夢を繰返し見ることがあって、とても印象深く思っていたのですが。



で、月日は流れ、私は中学生になった。
ふつうの中学生。

とある社会の時間。
学校で地域の歴史とかを調べる時間があって。地域に愛着を持たせるふるさと教育かなんかの一環だと思うのですが。


私は地域の歴史としては、港町だし、古いものといえば港の漁師さんがとかが祈願に使う神社だな、と

で、図書館や、地元のお年寄りとかへの聞き取りとかで神社の使用方法とか歴史とかを調べたのですが。


そんなある日、港町の、昔学校だったところを図書館にしたところがあって、そこに愛車、ブリジストンのシャインスターで向かって、静かな図書館で調べごとをしていたとき。

○川港に関する文献を開いたとき。


あったんです。


港の今ある神社の山の上、荒れた砂地の山の上に。
大きな神社が。

神社が茶色の紙に手書きされたのを画像化した、その画像に、大きな、りっぱな、神社の絵が、開放した神社の中の組み立てられた台の上に、大きな太鼓が二つ、描かれているものがあったのです!


私は思わずブルブルっと震え、でも不思議に安心して、落ち着いた気分になっていました。



その後、私は初めて、現在の神社がある山の上にひとり登っていきました。


山の上方には、朽ち果てた、神社の跡が、柱の残骸とか、広いぼろぼろになった床とかが、そこにあったのです。


やっと出合えた・・・

私はただ茫然とそこに立ち尽くしていました。


私はきっとこの地域に、数百年前にも住んでいたにちがいない。




世の中には、ふつうでは考えられないことがあるものです。

時空を超えた記憶。

なんでか知らないけれど、そんなものは確かにあるんだな、と思っている私なのです。
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