スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

人生での悩みは九割九分杞憂ではないか

画像は、私が大好きなぜんざいです。
ご一緒にいかがですか。


さて。標題のことについて。


中国古代王朝周の時代、杞の国に、天が崩れ落ちるのを心配していた者がおり、そこから杞憂、の言葉が生まれたと言われる。

杞憂。

私は最近、自分に自信がなく、やることなすことかなりの部分に不安感を持ち、朝から心配で、不安で、これはおそらく軽度のパニック障害とか心因反応とかの病の一種ではないかと思ったりしているのだけれど、それ以外にも生来の悲観主義的な気質も影響を与えていると思われるのだけれど、でも、過ぎ去ったことを改めて思い返すと、こうした心配がほとんど杞憂に終わっていることに気付くのです。


先日、来年使う高橋書店の手帳を購入したら、毎年高橋書店が募集している「ハッとした言葉、高橋書店をうならせる言葉募集」とかのチラシが挟まれていて、その中に、前回の結果の発表があり、そこになかなかおもしろい言葉があったのです。

確か、「お前さぁ、去年の悩み、言える?」というのがあったんですよ。

私はこの言葉、ハッとしましたね。

確かに。


あなたは去年の今頃の悩み、言えますか。思い出せますか。

そうなんですよ。


悩んでいるときはほんと、心底不安で、暗くて、もやもやして、時に絶望的で、切なくて・・などの気持ちに襲われるのがほとんどですが、その悩みもいつしか熟成され発酵し、まろやかに溶けて解決したり消滅したり、風化したりしていつしかなくなっていることがかなりあるのです。

仕事で言えば、私の場合、朝から仕事、不安でしかたがなくて、通勤時、職場が近づくに従い動悸がして、逃げたくなったりするんです。

でも、その不安、退社時には大分部がなくなっている。

長期的に解決しにくい不安な業務も、たいていは2カ月以内に解決していたりする。


思えば、私は、こうした不安をいつも抱え、気分も晴れず、鬱々と暮らしてきたように思う。

でも、そうした不安、ほとんどが、そう、九割九分くらいが杞憂だったと思うのです。


人生、いつも不安を抱え、鬱々と過ごし、いつしかあの世に行く際に、それら不安の九割九分、ほとんどすべてが杞憂だったとしたら、あなたはどうしますか。


今までの人生、なんとかなってきたのだから、これからもなんとかなるだろう。

そんな気持ちの境地に至ってみたい。


そういう気持ちになれるよう、努力してみたい。


悲観的に準備して、楽観的に行動する、そんな感じで仕事をしていきたい。


今、そう考えているのです。
前の記事へ 次の記事へ
カレンダー
<< 2014年11月 >>
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
アーカイブ