今日の朝はつらかった。
泣きたくなるくらいつらかった。
「職場に行きたくない。」
「行きたくない」と20回以上しゃべったと思う。
昔から朝はつらかった。
朝にはいい思い出がまったくない。
昔から、朝がきらい。
世の中、朝に「おはようございます!」と飛び起きることができる人を、私は尊敬する。
思えば、私は胎児から世の中に出たその時から、つらかったのだと思う。
暗くて、静かで、穏やかで、寒くもなく暑くもなく、心地よい所から、むりやり明るい、うるさい外界に引き出され、ヒリヒリする刺激にさらされて、私はつらかったのだと思う。
それと同じような刺激を毎朝感じている。
それはどんな人も同じだろう、と言われますが、私はきっと、気持ちよく産まれるタイミングに合わず、ずっと満たされないまま悲しい朝を迎え続けているように思えてならないのです。
そうした中、私には、理想の朝とはこういうものなのではないのかな、という、理想の朝像、というものがあるのです。
それは、以前、確か、おそらくイオンで出しているmomとかいう雑誌、刊行物に掲載されていた、ある方の投稿。
朝4時頃に起きる。
家族は寝ている。
香り高いコーヒーを淹れる。
静かな、自分だけの時間・・
確かそんな感じのことが書かれていたように思う。
朝、ストレスを感じながら仕事に向かうためにいやいやいやいや起きるのではなく、朝、まずは自分の癒しのために、楽しむために起きる。
ゆっくりコーヒーの香りを楽しむために起きる。
そのためには、できるだけ早く休む。胃を軽くして内臓負担を軽くして。
ちょっとずつ、そう出来るようにやってみよう、そう思っている。
数回前、記事で超能力でロトを当てる、という記事を書いたのですが。
人には見えないものを見る能力があると思うのです。
今回、今日のロト6、8口を予想、購入して、4数字合致が1口、3数字合致が2口、差し引き1万3千百円の収益だったのですが、当てようと予想してこのように当たるのです。
東京京橋のロト記念館の夢ロトくんの中で、よくかき混ぜられたポリウレタンの球の出玉数字を、予想してたまに確率をはるかに超えて当てることができる。
人はやはり鍛えようによって見えないものを見る能力が身に付くのではないかと私は思っております。
たまにこんな食事をしてます。
さて。
私は最近ここしばらくずっと、急な行動をしなくなっているんですよ。
急な行動とは、急○○、つまり車の急なハンドル切りとか、バックとか、発進とか、急にスケジュールに予定を入れるとか、予定を変えるとか、そうした、急に事をするのを避け、その分、他人に何かを譲るとかして、自分を努めてへりくだり、物を扱うにも急に手を動かさないとか歩くにしてもゆっくり歩くとか、とにかく行動に努めて太極拳みたいにゆるやかなものを取り入れて余裕を持たせ、何かに「お先にどうぞ」という感じにするようにしているのです。
「人は歳をとると知識が増えるのではない。慎重になるだけだ。」とか、偉人と言われる人が残したらしいけど、その意味がなんとなくわかるような気がする今日この頃。
慎重になると、大きな事故やトラブルを避けることができる。
何かあっても、被害を小さなものに抑えることができるのです。そう思う。
他人に迷惑をかけないように配慮しながら、ゆるやかに、気持ちも含めてゆるやかに、行動し暮らして行きたいと思っている最近のボスでした。