今日は、8時半から夕方5時半まで昼のシーフードヌードルビッグを食べる時間以外はトイレも我慢しながらすべてハイパワー、トップギアで仕事をし、5時半にはスパッと仕事を切り上げ、帰りに二日前から予約をしていた特上鮨人数分を買って、あと、道の駅でスイカ大玉と桃一箱を買って、実家に向かった。
久しぶりの実家では、持ち込んだ鮨の他に、料理が得意な兄が作った焼きサザエ、クロモ酢、鯛の刺身、エガイ(ムール貝の一種)とナスと玉ねぎの味噌汁、エビとカニ身とナスの天ぷら辛み大根おろし添え、焼きナスショウガ添え、茹でオクラ、カットスイカなどを食べ、向こうの家で飼っている2匹のチワワと遊び、ゆっくりと過ごした。
仏壇の父親の写真が今回は特に笑顔がすばらしく感じた。
ろうそくを灯し線香を立て、しばし手を合わせ、帰りには父の形見の洋酒を5本ほどもらい、私の新築のカフェ兼自宅に飾ることにした。実家に帰ると、たまに洋酒を形見分けにもらい、部屋で眺めるのが好きだ。
ところで、実家に帰ると、特に少子、高齢化がかなり進んでいることを実感する。
驚くばかりだ。
いや、それもあるが、もう足掻く気持ちも起きない。
昔は、少子、高齢化について、私が何とかしよう、という夢や気概もあったが、年齢を重ね、現実がよくわかるようになると、悲しいことに、もう諦めの気持ちしか出てこない。
歳をとるということは、どんどん自分の可能性の芽を摘んでいくようなものなのではないか。
人生という大なり小なりの樹木の枝を伝って先に行くようなものなのではないか。
行けば行くほど先は細く短くなり、その先は見え、まあそれなりに回りも見えて、これからの少ない可能性に諦めの気持ちも持ちながら、あとはゆっくり残された枝の先に向かって進むしかない。もう生き急ぐとそれが現実になったりするからこわい。
少子、高齢化について見ても、もう個人の、しかも先が見え始めている個人の努力では、もうどうしようもないのだ。
近い将来、人口が消滅する地域はどんどん出てくるのは必然。
あとは私にできることは、好きな分野、カフェ、喫茶店という形でささやかに地域貢献することくらいしかないと思っている。
早くカフェを開業したい。
画像はカレイの一夜干しを焼いたもの。
カレイは特に、一夜干しにするとおいしさが増す。
おいしさ、とは、単純にグルタミン酸が増すというだけでなく、なんというか、遺伝子に働きかけるような薫りが増すとか、食欲を掻き立てる何かが増すとか、何と言っていいのか難しいけれど、そんないろいろないいことが増す、ということなのです。
私は、人って舌が肥えていけばいくほど、いずれ食材の普通の煮炊きなどだけの調理だけでは飽きる、というか満足しなくなっていくものだと思う。
これからは、特に、スローフード、つまり、食材を干すとか熟成させるとか味噌に漬けるとか発酵させるとか、あるいは薫製にするとか、そうした調理分野が一層進展していくと思う。
あと、スパイス分野。
スパイスも、これからの調理分野では一層、どんどんもてはやされていくと思う。
私もこれからも一層、スローフード分野とかスパイス分野を勉強して、食の味の幅をもっと広げていきたいと思っている。