ボサノヴァを聞きながらくつろいでいる。
仕事の懸案の1つだった実施主体としての監査は、順調に進み、いくつか無難な指摘事項も見つけ、うまく終了した。
ご心配をおかけいたし、すみません。そして、ありがとうございました。
しかしブログって、見ず知らずの方々から励まされたり元気をもらったり、不思議なものですよね。
昔はこうした意思の伝達などは、貴重な紙に筆で数十数百文字とかサラサラ書いて、書いたものは長い時間かけて相手に届き、受け取った相手はそこから文字以上の相手の気持ちを推し量ったりして、それは現代人では想定できないくらい想像力を豊かにして推し量ったりして、そうしたコミュニケーションだったわけですよ。
しかし現在、こうした意志疎通は、ソファに横になってお茶とかお菓子をいただきながら、リラックスして行うことができ、内容はリアルタイムに相手に伝達させることができる。
すごいことだと思いませんか。
指でポチポチやるだけで、遥か彼方の見知らぬ方々と簡単に意志疎通ができるんですよ。瞬時に。
そして自分の意思は十分に相手に伝えようとすれば文字数をポチポチ増やし、画像をつけたりしたりして、簡単に厚く伝えることもできる。
で、私が今日食べたハンバーグランチが画像としてあなたのもとにも届くのです。
ほんとにすごい時代になったものです。
妙なことに感動しておりますが、すごいことだと普通に思いませんか。
さて、そうしたことを思うままポチポチしておりますが、私の懸案はまだまだいろいろありまして。
あさっては、会社組織の合併に係るプレゼンテーションがありまして、資料は完璧ですが、どうインパクトがあり、かつ分かりやすく、感動もよびながら発表するか、明日はじっくり作戦を練ろうと思ってます。
そんなことをつぶやいているボスの夜でした。
先日から仕事、監査をやる側としての不安な気持ちを書き連ねている私なのですが、監査は着々と進んでおります。
巨大船はゆっくりと、ちゃんと巡航している。
世の中、案ずるより産むが易し、なのか。
確かに、世の中、それがほとんどだ。
心配事があっても、案ずるより産むが易し、という結果がほとんどだろう。
最初から、案ずるより産むが易し、の姿勢で心配なことに臨めるなら、それは楽だろう。
死にはしない。
なんとかなる。結果はどうであれ。その場は過ぎ去り、夜は来て、ふとんで休めるだろう。
でも、私はそうは行かないのだ。
とにかくあがく。心配して、最悪の事態を想定して、そうならないようにシミュレーションして対応策を考える。
起こるか起こらないかわからない最悪の事態だけれど、いや、むしろたいていは起こらない最悪の事態だけれど、私の場合は楽観的に構えられないのだ。
悩み心配して対応を考えるから、最悪の事態を避けられるのだと思っている。
世の中、なるようにしかならないものさ、と楽観的に構えられる能力があれば、どんなに楽だろう。
私は一生、そうは行かないタイプの器なのだろうと思う。
画像はタンメン。
熱いうちにどうぞ。
今日の地味な自宅での仕事のあとは、馬力をつけるために牛丼なんてどうでしょう。
玉子とじで。
よろしければお召し上がりください。
さて、それにしても、自宅で仕事、って、残念だ。
休日、外に出ようと思えば出れたんですけど、何か私の気持ちとして、こんなときに外に出ればバチがあたりそうでねー。
忌避みたいに、家に閉じ籠ってました。
魔に魅いられないように。
私ってそんなところがある。
何か懸案があれば、願をかけるように自分を律する。地味に、暗く閉じ籠もる。
それはあたかも、龍が洞窟に閉じ籠っているように。
手負いの獅子が洞穴で傷を癒すように。
はやく明日、明後日が過ぎ去るように。
爽やかに、おいしいコーヒーが飲めるように・・・
はー・・
家で仕事をするのはつらいなぁ。
金曜日の退社時は、重い荷物をバッグに入れながら、土日、自宅でバリバリ仕事をするスーパーマンみたいな自分を想像したりするけど、現実はそうは行かない。
やるでもなし、やらぬでもなしで土曜日をすごし、土曜日の深夜にやり始めたはいいけど、3、4時間で「明日やろう」となり、日曜日、とうとう午後になってしまった。
さっき4時間、勉強したけど、まだまだ不安だ。不安すぎる。
第一、現場を知らないまま監査、やろうとするのがこわい。イメージがわかない。
不安だ。
ブログ記事、書いている余裕なんてないのかもしれない。
やらなければ。
画像はフランスパンのピザトーストです。
よろしければお召し上がりください。
警察のインターネット犯罪取締室の検索にひっかかりそうな題名ですが。
ヴィパッサナー瞑想で覚醒をしようということなのですが。
皆さんは、たまに、定期的に、頭がぼやけ、考えがまとまらないとか、やる気がなくなるとか、そんな事態に陥ることはありませんか。
私もあるんですよね。そんな時が。
で、そんな時に、上座部仏教の中にあるヴィパッサナー瞑想、というのが効果があると、そう思うんですよね。
上座部仏教、とは、お釈迦様が生きていた時代、お釈迦様が修行していたその頃の教えで、その後数百年後の大乗仏教等と対比されたりしている教え。
で。
このヴィパッサナー瞑想、とは、簡単に言えば、まず、鼻からの呼吸に意識を集中させ、その後、自分の動きや動作、行動、置かれている状況などを逐一意識で実況中継する瞑想法。
ただし、「“私は”何をしている」という、自分というものを意識せず、ただひたすら、動きや行動や取り巻く状況を実況中継する、と。
これをやっていると、頭が冴えてくるんですよね。
こうした瞑想を、ときどき行い一週間も経つと、頭がかなり覚醒してくる。
やる気の向上にもつながっていったりする。
これはいい瞑想法だと思っております。
思えば、私の好きな作家、大藪春彦の小説は、まさにヴィパッサナー瞑想のような、客観性のある実況中継のような描写で構成されていたのに気付く。
大藪春彦は、ヴィパッサナー瞑想の達人だったのかも知れない。
ヴィパッサナー瞑想を行うと、小説等の文章作成能力も飛躍的に向上するのではないかと思ったりしております。