明日からの不安が半端ない。
具体的には、仕事への不安が半端ない。
こうしたとき、お酒で明日があることを忘れられるならどんなにいいだろう。
お酒は飲んでもいいけど、明日を忘れることはできない。
お酒で酔うことはない。むしろ目が冴える。
昔から、こうした時には食べ物に走ってきた。
暴飲暴食。
あと、激辛食品。
今日はどうしようか。
ブログって、記事に書くことはまったくの断片にすぎない。
楽しそうな記事の裏に膨大な悩みがあることは普通。
その人が、悩みを忘れるために楽しげなことを書いていることもある。
私の場合、晴れない気持ちを隠すために、つまらぬことを楽しげに書いているにすぎないのかもしれない。
晴れない気持ち、暗雲が、スキッと晴れる日が、これからの人生であるのだろうか。
夜中ですが、渡り蟹のクリームパスタはいかがでしょうか。
モッチモチの、こってり濃厚な、旨味がブワーッの、渡り蟹のクリームパスタはいかがっすかー(笑)
いやー、これはおいしい。
渡り蟹のミソの旨味が生きている。
あなたにも味わっていただきたい。
渡り蟹、といえば、私は港町の近くで生まれ育ちましてね。
家は海に近かった。
幼い頃から魚釣りをしたり、タコやナマコをとったり、蛤を掘ったり貝をとったり。そうして遊んだりしたものです。
私には兄がおりましてね。私より七つ歳上の兄なんですが。
兄は夏によく、夜に海に行って海に入り、懐中電灯の明かりで渡り蟹やアブラ蟹やモクズ蟹を探して、しょっちゅうバケツ一杯の蟹をつかまえてきたものです。
で、私らはいただいてきた。
蟹で生きてきた。(ンな(笑))
兄は、私が雑な蟹の食べ方をすると、怒ったものです。「蟹は身をていしている。おれらはそれをありがたくいただいている。命をもらっている。殻までよく噛んで、感謝しながら食べるんじゃ」と。
で、私は蟹は、感謝しながら、もう誰よりもむだなく味わい、いただくようにしている気持ちがある。
私は大人になり、ある時期から、生きたものの命をいただくことが申し訳なくなって、自分では生きたものをつかまえ、食べることはしなくなった。
兄もそんな感じ。
現在、蟹は市場やスーパーで購入するようにしている。
こうして海から上がってなくなっている蟹をいただくのは、蟹にはわるいが、ありがたいことであり、大事にいただいていこうと思っている。