冬もやっぱりモカソフトだね。
さて、今日はほんと、おそろしい一日だった。
皆さんは占いを信じますか。
私の占いでは、1年サイクルとか、6年サイクルとか、比較的長期のサイクルとしては12年とかのもありますが、そんなサイクルの中で1回あるかどうかというくらい稀な、特別の日というものが何種類かあるのですが、今日はまさにその、6年に1回くらいの、あることが訪れた特別の日だったのです。
大挫折界。
とにかく、すべてがすべて、出足をくじかれ、邪魔され、覆され、無意味になる日。
仕事で10人に電話をかける。すべてが、たった今席を外した、とかたった今でかけた、とか今、トイレに行ったとかでいない。
忙しいなか、頼まれた仕事を処理したとたん、まったく同種の仕事が来て、5分ずらして処理していればいっしょに処理できたものが、二度手間になる。
いつもはスムーズに走れる途上で、なぜか小路からやたら遅い車が割り込んできて、いつもよりかなり時間をとられる。これが朝夕複数回ある。
仕事で相談事をされ、答えようとしたら、その人に電話が入り、何分も待たせられる。これが2度3度4度続く。
やった仕事が相手都合でことごとく覆される。
忙しくて、やっと自分の仕事をすると、相談事をされる。
また仕事をやろうとすると、くだらない電話が入る。
こうしたことが何度もローテーションする。繰り返される。
一年前の会議で、その人のたった一言の発言があったがために膨大な宿題を抱えるはめになり、いまだに苦悩し苦労して、いまだに宿題となりもやもやしている、その発言主が今日職場を訪れたり。
以上はほんの一端の一端。
すべてがすべて、出足をくじかれ、邪魔され、通行止めされ、やきもきさせられ、やり直しさせられ、とにかくすべてがすべて、そうしたことの繰り返しの、数年に一度あるかないかくらいの、ものすごく、ある意味おそろしい一日だった。
まあしかし。
この大挫折界の日が、通常のルーティン業務の日でよかったといえばよかった。
これが、重大な行事や特別の催しや、ハレの日にあったとしたらほんとうに大変なことになっていたことだろう。
皆さんは何枚くらい年賀状を書きますか。
私はー…だいたい6、7枚。
たったの6、7枚?とおっしゃるなかれ。
ボスは、来た年賀状にしか返さないのです。
プッ、来るのがたったの6、7枚?とお笑いになるなかれ。
他に親戚から10枚ほど来ます。
親戚以外には、以前は百枚くらいだったのですが、人生に疲れましてね。
断捨離した結果、いつしかこの数になったと。
そういうことです。
でも、年賀状くださるのは、そうそうたる方々。
世界一の先生。
日本一の焙煎士。
老舗の珈琲専門店社長。
老舗鮨店社長。
金融会社。
とか。
ボスの年賀状は画像のような感じ。
画像にぼかしをかけておりますが、こんな感じで筆ペンで渾身の年賀状を書く。
私は、すべて印刷の年賀状は送る必要がない、とまで思う。
出すならすべて直筆。
私の場合、1枚に構想1日ないし3日、記載には40分から1時間はかける。集中して。
いつかあなたにも年賀状、書けたらいいなぁ。
そのためには、あなたからの超本気の年賀状が必要です(笑)
皆さーん、
明けましておめでとうございます。
本年も、よろしくお願いいたします。
さて、昨年暮れから、私はまったくテレビを観ず、よって紅白も、ゆく年くる年も見なかったのですが。
こんな年って初めてですよ。
何かやっぱり、仕事に対するものすごい不安がある。
一生懸命やればなんとかなるとはわかっていても、もし間違って地雷を踏むんじゃないか、とか、失敗するんじゃないか、という不安がある。
で、やっぱり明るくなれず、ひきこもってしまう。
昨夜は、ひきこもって新聞2紙、ここ2週間分をあらためてまとめ読みして頭を整理しました。
テレビは見なくていいようになってます。
テレビの音が疲れる。
病か。
ベトナム戦争とか、戦地から帰った人の中には、かなりの割合で心に病を持つものがいるという。
私は、そうしたレベルの恐怖とかは味わっていないけれど、よって、そのレベルの病は持っていないのだけれど、プチ恐怖によるプチ病的なものはあるのではないかと思っている。
残念だ。
扁桃体が過剰反応しやすい。
朝からアセチルコリンが過剰分泌しているのか、通勤途上の車の中で動悸がしてくる。
この状況を打破するためにも、年末に新たに発見したロト当せんの驚愕のアルゴリズムを活用し、早期にロト1等を当せんさせねばなるまい。
それだけは楽しみである。
画像はさっきつぶ餡から煮て、餅を焼いて作ったお汁粉ですが、いかがですか。