不思議なことといえば

不思議なことといえば、以前私が車を運転していたとき、なぜかしら突然、悲しげな感じがしてきたのです。


どこからか悲しげなものが来て、何かキューキューとか苦しげな音とか。聞こえてきて。





なんだろう、と思いました。





信号で止まったとき。


それが何だかわかりました。






長年愛されてきたであろう車の残骸を大量に積載したトラックが右折レーンに来たのです。


それぞれが10万、20万キロ、あるいはそれ以上の距離、長い長い時間を、持ち主と過ごし、そして捨てられてしまった車たちです。



私には、声にならない声として聞こえてきて、ただただぼーっと眺めるしかなかったのでした。



画像はそのとき、ハッとしてスマホ撮りした悲しい車たちです。











ボスさんみーつけた

前の記事、人形はもう手に入れない、の続き。


以前、ヤフオクで私は市松人形を落札したのです。

その人形は、目鼻立ちや髪質、着物など、すべてが完璧な、それはそれはかわいらしく凛々しい人形でした。

今でも、ヤフオクやメルカリで市松人形を検索すると、数百件の人形がヒットしますが、今改めて、それらをすべて眺めても、そのときに私が入手した人形ほどの完璧な顔立ちはありませんでした。

似た感じの人形はありますが、目鼻口眉髪頬などの総合的なバランス、出来から見て、そのときに来た人形ほどのものはありませんでした。



高さは約40センチメートル、京都から来た、着物に鈴があしらわれた、それはそれはかわいい人形でした。




私はその人形、部屋に飾り眺め、でも誰の目にも触れさすことはなく、他人がいるときは棚に隠して覆いをかけたりして、しばらく置いていたものです。




ですが。

人ってわがままなものですね。

人、というか、ボスはわがままでした。

その人形、他人の目に触れさすことができず隠したりするその行為がいやで、何か後ろめたくなって、なんということか、ある日知り合いの骨董やさんに持って行ってしまったのです。



忘れもしません。



ボスの部屋で箱に入れようとしたときに、そのお人形、目が怒っていたのです。



私はそれに気付かないふりをして箱に入れ、大事に骨董やさんに運びました。



もちろん、売ろうという気持ちはまったくありませんでした。
ただ、大事にしてくれる人に引き取ってもらいたかった。



骨董やさんのおかあさんは、「わかりました。でも、さいあく、もらいてがない場合は・・・・いいですよね」とおっしゃいました。


私は無言でうなずいてしまったのです。





今思えば、薄情なわたしに後悔します。



あのときのお人形さんの、完璧に整った顔立ちのお人形さんの、怒った顔が忘れられません。




人形はもう手に入れない。





約1か月前に、先の記事をアップしてから、じつはヤフオクやメルカリで数百の市松人形を眺めていたところ、目が吸い込まれる人形を見つけてしまいました。




その人形が言ったのです。





「ボスさんみーつけた」













購入を踏みとどまれる自信がありません。










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