画像は、揚げ豚とナスの煮浸しです。

夏にはこれもたまにいいですよね。



さて。


最近、文章的にはどうでもいいような記事を書いているのですが。


職場では、モノを書くのが仕事なので、家では気軽なことを書いて、ネット上の輪を広げていると、そんな感じで。

でも、しょっちゅう、「こうして書いていても意味があるのかな」という感じも持っている。


そうした中で、コメントとか拍手をいただくのは、「あぁ、誰かは読んでくれているのだなぁ」という感じで、書く意味も感じたりするのです。



ところで。

今日は、とあるつまらぬことがあったのですが。
書きましょう。


ほんと、つまらないことですが。



それは、帰る道で、だだっ広い直線道路で、信号機もない道路。


そんな中で、横断歩道があって。


私は、まぁ、止まらなければとまらなくてもいいかな、と思ったのですが、誰かいたので止まった、と。


そしたら、女子中学生くらいかな、私の車に目もくれず、スマホ画面を見ながら、ゆっくりと、極めてゆーっくりと、横断歩道を渡っていって。



ここでなぜ私がこんなつまらぬことを書いているのかと言うと、私が中学生のころは、例えば信号機のない横断歩道で車が止まったら、やっぱりその運転手は大人であり、まあやっぱり少しは気を使って、早足とかで横断歩道を渡るとか、ちょっと、もしくはそれ以上、気を使って渡ったりするわけですよ。


それがその女子中学生は、そんなのお構いなしに、自分の枠内だけで、外部に何の配慮もなく、スマホ画面を見ながらゆっくり横断歩道を渡って行った、と。



まあ、そんなことが今日あって、あれっ、と思ったということです。




で。


ここで私が申したいのはここからなんですよ。


そうしたことについて、私は少々気分を害したわけなのですか、じつはこの気持ち、そう思う気持ち、考え方って、直さなければならないな、ということなんですよ。


私が少々気分を害した、というのは、心の中に、「人はこうであらなければならない、こちらがこういうことをしたのなら、相手はこう応えなければならない」という無意識の、他人に対する自分の期待感というものがあるわけですよ。
それが裏切られたから気分を害してしまった、ということなんですよね。


でも、世の中、いろんな人がいる。


頭がおかしい、考え方がまともでない人間も、世の中、山ほどいるわけですよ。


で、自分の期待感が、自分の枠の中で裏切られたりして腹が立ったり落ち込んだり。


こうした自分の気持ちって、やっぱり最初から、他人に「こうであらなければならない」と期待するから裏切られた時に気分がわるくなるのです。



だから、他人には最初から期待しないのが世の中渡るにはいちばんいいというか、平常心を保つにはいいのではないのかな、と、まあ今日のささいな出来心から思ったということです。


そんなことを思い出している布団の中のボスでした。