江戸川の川べりあたりで、もし女の子の靴や靴下が乱暴に脱ぎ捨てられていて、まわりに持ち主らしき子どもや親子の姿がなかったとしたら。



犬とかを散歩させている人や。


ちょっとでも興味を持つ人や。


何かに使おうとする人や。



「かわいそうに、そろそろ雨が降るし、雨が上がった明日にでもとりあえず見つけやすい場所に置いといてあげよう」という人や。


あるいは「こんなところに廃棄物を置いちゃいけないじゃないか」という人や。



そうした人が持ち帰るかもしれない。




そしたら、あとになって何か事件性のある靴だったりしたことを知ったら。


持ち帰った人は、こわくなって、雨が上ったあとで、拾ったそばとまではいかないまでも、自分の姿が見られないように、見られても疑われないぎりぎりのあたりに、返しておくかもしれない。

置く際は、なげすてるのではなく、その人の作為なく、何も考えずに置く、と。
そうなると、ふつうは急いでパッと置く、と。
そうなると、片方の靴がひっくり返るくらいになり逆にリアリティーが出る。丁寧に置いたら逆に不自然。

そして、そうしたことをしたことについては、ややこしいことに巻き込まれたり尋問されたりしたくないからかたくなに口を閉ざしている、と。



いろんな可能性があるということです。






「当日は風がなかったから帽子は飛ばないはずだ」という話がある。

固定観念のかたまりです。

川岸では、たまに一瞬、強い風は生じることはありうる。



他に、例えば。


遠くで野球をするのが見え。


自分も運動したくなって帽子をフリスビーみたいに飛ばしていたら。


川べりに飛んでいってしまい。


帽子は、川岸すれすれにある。


流れていったらたいへんだ。おこられる。


子どもなりにあわてて靴や靴下を脱ぎ捨てて、そろりそろりと行くわけです。


そしたら川岸の土が急に崩れたりすべりおちたり・・・


落ちた瞬間は、おとなでも息を吸った瞬間に肺に汚水を吸い込んでしまい意識が遠のく。




いろんな可能性があるということです。





犯人がいるとすれば、私はそれなりにつじつまがあうことを考えることはできる。



決してどこかの霊能力者みたいな突拍子のない、あるいは根拠がないのに具体的に描写するように述べたり犯人名を言って、それがハズレても何の責任も持たない自分勝手な悪意ある予言みたいなものではなく。




現実的なことを。




試しに述べてみると。



多くのネット民がさわいでいる性犯罪や幼児嗜好説だけとは限らない。



むしろ、例えば、弱いものいじめをしたい中高生。

何か常に怒りをかかえている若者。



ランニングのハイテンション中、急にぶつかられて、カッとなる者。



世の中、わるい、気持ちが狭い若者もけっこういるものだから。

あるいは悪ふざけする、推理力の乏しい若者は日常茶飯事にいるものだから。



他人の不幸をよろこびとする倒錯者もいて困る。

テレビで芸人がいたずらや罰ゲームされて、それを見てよろこぶような輩、サディストのたぐいが。いる。


まわりに誰もいないと弱いものを川に突き落としたりすることもやりかねない。

その際には偽装のためにすばやく靴や靴下を脱がせることも忘れない。そして草むらに置いておく、と。




いろいろ考えると終わらない。