今日はウェッジウッドのこんなカップで飲んでます。珈琲。

このデザインはまさにうちのシーズーのプーちゃんですよ。大事にします。


それにいたしましても。ありがたい。ありがたいことですブロ友さんって。

ブロ友さんって、ここにきてくださる皆さんのことをそう呼ばせていただいています。

現在の私のブログは、巷でいうところのまさに「辺境」。そして記事もあまり書いていません。私は記事を書かないことを「放置」とか、「放置プレイ」とは言いません。言えない。自分がそういう主導権を持ってブログを運営しているという意識を持てないからなんですね。いわば「ブログさん、記事を書かなくてごめんなさい」という感じ。

記事を書かないことは私にとって非常にうしろめたいこと。誰が読んでくれるというわけではないですけど、皆さんに申し訳ないという感じがしたりします。自意識過剰、というよりも、友達の輪から遠ざかっているみたいな、そんなうしろめたさがあるんですよね。

衣食足りて礼節を知る、ということばがありますけど、確かに、衣食とか精神の充実があってこそ、他人に対して礼儀正しい、豊かな気持ちで接することができるんですね。

それが今の私にはない。不足している。なんとかしなければ。


こうした中、こんなところを訪れてくださる皆さん。ありがとうございます。

今日、仕事をしながらふと思いました。

私、職場でも、左ポケットに入れた携帯を意識して「ここに友達のつながりがあるんだ。孤独ではない。」と思ったりしているんですよ。で、「こうした友達がいるって財産だな、不思議だな、こんな一面識もない私のことを忘れないでいてくれて、ありがたいな…」と思ったんですよね。

私があしあとをつけなくても私のところに来てくださったり、それはあしあとをつけないで来てくださっている方々もそうです、そうして来てくださる方々は友達です。そう呼ばせてください。


ブログでしか知り得なかった、遠い別天地の方々とこうしてつながりがある。そして語り合える。

それって、ほんと不思議なことだし財産だし、こうしたつながりを大事にしたい、そう思っているのです。記事を書けなくても、あしあとを残せない場合もありますが、そう思ってます。ちなみに、私があしあとを残せない場合って、記事を書けないんですが皆さんの記事がみたい、といった場合です。記事を書かないのにあしあとを残すのがなんとなく…わるいな…とか、妙な気持ちになったりするんですよね。変でしょうか…



というわけで、ボスのマインド回復まで、もう少々おまちいただけますか。