画像は私の大好物、私が焼き魚でいちばん美味しいと思っている「海タナゴ」の塩焼きです。

皆さん機会があったら召し上がってみてください。他の魚が問題にならないほどうまみがあり、ほ〜んとおいしいのです。


さて。先回の記事は、私がブログを書くようになって以来、いまだかつてないほど書く意欲がないまま書いた記事なんです。

1年前まではよかった。
いつもブログに依存していました。

いまでは毎日が仕事に追われ、仕事で私なりに高度な文章を1日一杯考えており、家に帰ってからも仕事のことが頭から離れず、ブログに集中できないんです。集中する意欲がない。
睡眠中でも、眠りが浅くなると仕事のことを考えています。夢の中で職場でやりかけの仕事の続きをしていたりします。誇大に表現しているわけでなく、ほんとうにそうなんです。

そういえば、1年前、病気で1日中病院にいたころは1日中ブログのことを考えていたような‥。

こうしてのめり込むクセというのは私の特有なものかもしれません。

話は違いますが、のめり込むといえば、私は好きな食べ物もハマるとずっと続けて、繰り返し毎日のように食べるタイプなんですよ。

今はまっているのは、お昼のお弁当。
職場の売店で売っている酢鶏弁当なんですが、これは私の手帳を見ると、5月にうつ病らしきものにかかり、それを食べ物で解消しようと、6月から食べ始め、ほぼ毎日、4カ月と10日にわたり、約85食、食べ続けています。ご飯は半分は残していますが。

皆さん信じられますか。同一の弁当を毎日のように85食ですよ。
で、この弁当、いまだに飽きず、これからも当分食べ続けるだろうと思っているのです。

私が見るブログも約20人、休止中の方のブログを除くと、約10数人の方のブログしか見ていません。
他の方のブログって、あんまり見る気がしないんですよね。思い入れがない。

皆さんはどうですか。
ブログ、あんまりよく知らない方のブログって、読み応えのあるブログだったらおもしろいのですが、試しに百人のブログを見ても私からすれば、読み応えのあるブログって1、2あるかないかなんですよね。

実際どうなんでしょう皆さん。見ず知らずの方の、断片的な、文字数にすれば百、二百文字のつぶやきを見ておもしろいですか。
私ははっきり申せば、見るのがむなしいとすら思えるくらいおもしろくないのです。

もちろん、ブログを書いている当事者は他人を喜ばすつもりでその記事を書いているわけではないでしょう。わかりますよ。
ただ、読み手である私からすれば、わがままを言わせてもらうと、見ず知らずの方のダベリング、しかもどんな背景で書いているのかもわからない百二百文字のダベリングを見ても全くおもしろくもなんともないのです。

こうした考えって残酷ですか。
私は病気なのでしょうか。

思えば私も、冷たい人間になってしまったものです。

職場でずっと多忙に過ごしていると、優しさまでもなくしてしまうような気がします。実際優しさはなくなってしまっていると思います。


幸せってなんでしょう。

人生の目的ってなんでしょう。

最近、しょっちゅうそんなことを考えるようになりました。

これから数十年、現在の仕事をしていく限り、心が穏やかになることはないでしょう。責任が重くなる一方で、私は仕事で手を抜くことは私の性格からして考えられず、よって、いつもささくれ立った気持ちが癒えることはないと思うからです。
皆さん。また言いますが、幸せ、人生の目的って何でしょう。何なんでしょうね。


そういえば、先日、といっても、数週間前になりますが、ラジオ、トヨタプレゼンス、片山右京さんの番組で、片山さんがソムリエの田崎真也さんと対談していたんです。

その中で、田崎さんが人生の目的について話されておられたんですよ。

皆さん。田崎さんのお考えになる人生の目的って何だと思いますか。

私、これにはその時、納得しましたね。

人生の目的とは、「楽しむこと」だとおっしゃるんですよ。

田崎さんおっしゃるには、おいしいものを食べることも幸せで、そのためには一生懸命になると。
つらい仕事も、楽しい休日があるのであれば、楽しさを味わうための手段だと。毎日が日曜日の人にとっては休日なんてないと同じだから、毎日がおもしろくもなんともない。だけど、毎日毎日多忙な人にとっては、やっと来る休日、数十日に一度来る休日なんて、すごく楽しくなるでしょう。
こうした、楽しい休日を迎えるためには、つらい毎日も大事な手段なんだと。楽しみを味わうためのプロセス、スパイスなんだと、そうおっしゃるんですよね。

私は昔から、苦いものはためになる、苦しいことこそ人生を高め、大事なんだという、禁欲主義みたいなところがありました。
ストイックの語源であるストア派の、ゼノンみたいな。

手元に小難しい、おもしろくはないけどためになりそうな法律書と、一方おもしろそうなマンガがあるとすれば、法律書の方をとって読むでしょう。

旅に雑誌と勉強の本のどちらかを持っていくとすれば、間違いなく勉強の本。


でも、こうした選択って、人生を楽しく送る観点からすれば‥人生の目的は楽しむことだとすれば、間違っていますよね。

有限の人生、苦しむより楽しく送る方がずっといい。人生が「良薬口に苦し」だとばかりに苦いものばかりで終わったとすれば、その人の人生って何なんだったのかとなるでしょう。


そうしたことを今ブログで書きながら、やっぱり仕事、適当にやるのも必要かな(でもそれはできないだろうな‥)と思ったりする私なのでした。