私って粘着質なんですかねー。3回繰り返して歯の話題ですよ。

でも、私は粘着質なわけではないのです。物事にこだわりますが粘着質ではない。決して。

そもそも粘着質とは‥

って粘着質にこだわりすぎですよね。やっぱり粘着質なのかなぁ‥。

いや、違う。

そもそも「粘着質」ということばが納豆みたいで嫌いだ。納豆は好きですよ。特に、納豆にお砂糖を入れて、刻みネギ入れて30回くらいかき混ぜてごらんなさい。

えっ?「納豆にお砂糖なんて考えられない」ですって?



ウッフフフ

私も最初はそう思いました。今から20年ほど前のことです。

ですがね、7歳上の兄に勧められ、ダマされたと思ってやってみました。

そもそも、私の兄には「だまされたと思ってやってみろ」と言われ何度だまされたことか。

でも、そのときばかりは違いました。

皆さん。だまされたと思って納豆にお砂糖を入れてみてください。人生が変わります(変わるんかいっ)。


だいぶ話はズレましたが、何でしたっけ話題は。

そうそう、粘着質についてですよね。

私は粘着質ということばはあってよいと思うのですが、自分が粘着質だと思われるのがイメージ的にイヤなのです。

そもそも、粘着質とは、クレッチマーが人間の体型分類から、細身は神経質、筋肉質は几帳面、太い人は陽気とかと分類してですね…


はい、やめます。じゅうぶん粘着質ですね。

でも、でもォ‥粘着質ではないのです。


さて。歯を抜くことについてですが、先日、歯を2分の1本抜いて、私は人生の無情というか無常を感じましたよ。

幸いにして、抜歯後はあたかも憑き物が落ちたように(ってすごい表現だな)、まったく痛みもなく、爽快そのものだったのですが、ただし、抜歯中には私、無痛ではありましたが、歯をギコギコミシミシパリンとかやられていて、「自分は一つの物体なんだなぁ」と思ったんですよね。

そして、なぜかしら「いつか火葬場で自分の肉体が納棺され、焼かれて行くのを、どこかから感慨深く眺めているんだろうなぁ…」とか、妙なことを考えていたのです。


思えば、人生は長いようで短く、いずれ肉体もなくなっていくんですよね。


ならば、生きているうちに、人との出会いを大事にしたい。巡り合わせを縁として、人生の意義を確かめたい‥などと思ったりする私なのでした。

さて。

明日から私は東京に行きます。

目的は私の命の恩人の先生にお会いしに行くためです。

先生からまた、いいパワーをいただいて、禊ぎして、パワーアップしてきます。

そして、カフェ巡りもしてくるつもりです。

いいカップも買うことを予定しています。