17/10/06 06:59 (:日常)
もう会えない。



話題:おじいちゃん

祖父が亡くなって五年が経ちます。
9月29日が命日で
朝、母から電話が来て
何がなんだか分からなかった
記憶があります。
それからすぐお通夜、葬儀、火葬。
私は祖父が大好きでした。
なのに、亡くなる一年前くらいから
姉の入院、私の妊娠などで、
色んな思いがあり会いに行けませんでした。
ほんとは私の旦那様も子供も
祖父にみてもらいたかった。
かわいいなって言ってもらいたかった。
おじいちゃんは、ずっと居るって
思って疑わなかった。
変わらない物なんて
何もないのに。
私が最後の孫だからか、
産院から退院したあと、
半年くらい祖父母達に預けられてたから、
おじいちゃんは
私に一番優しかった。
一番可愛がられていた自負がある。
だから、たくさん怒られた。
でもたくさん名前を呼んでくれた。
私の名前はおじいちゃんが付けてくれたから
間違われるのも、源氏名に使うのも嫌だった。
じぃちゃんはほんと優しかった。
私の誕生日やクリスマスは
私にってケーキを買ってきてくれた。
お誕生日のケーキはいつも
可愛らしいケーキで、
おばあちゃんじゃなくて、
おじいちゃんが選んでくれてた。
クリスマスケーキは
お姉ちゃんも居るのに
私にって買ってくれた。
おさがりばっかりだったから
それがとても嬉しかった。
クリスマスケーキは毎年
ブッシュドノエルだった。
当時はそんなおしゃれなケーキ
なかなか売っているお店なくて、
クリスマスだからって探してくれて、
特別扱いしてくれたのが嬉しかった。
遠足に行くって言えばお洋服を、
買ってくれた。
お泊まりに行けば、
外食に連れて行ってくれた。
たくさん話した。
小さい頃は
紙飛行機たくさん織ってくれたり、
一緒に焚き火したり。
烏瓜とったり、お散歩もした。
落ち葉集めたら誉めてくれた。
お風呂洗いも誉めてくれた。
私が作った料理は
文句言いながら沢山食べてくれた。
おじいちゃん達、
クリスマスイブが結婚記念日だから
ケーキ買っていったら
凄い嬉しそうにしてくれた。
3・11の時、東京行ってて
自分は帰れる目途も立たなかったけど、
おじいちゃんの酸素ボンベが心配で
何度も電話した。
母と連絡とれたときも、
じぃちゃんのお家に行ってってお願いした。
地元帰って来れて、母が迎えに来てくれて
おじいちゃんお家寄って貰ったら
おじいちゃんの顔見て安心してめっちゃ泣いた。
輪番停電の時も心配で朝でも電話した。
ずっとじぃちゃんに元気で欲しかった。
後悔しかない。
もっと話したかった。
もっと一緒にいたかった。
怒られてもなにされても
ぽちさんを紹介して
認めて欲しかった。
もっと色々したかった。
怒られてからかわれて名前呼んで。
じぃちゃんに会いたいよ。

子供に戻ってまたおじいちゃんに会いたい。
この時期と、心が弱くなると
おじいちゃんに会いたくなる。




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