今年の春頃から、海岸で、小銭を拾うことがやたらとあるのですが、いつも大体同じ場所。そこで誰かがやたらと金を落とすわけでもないだろうに。風雨にさらされ黒ずんだ硬貨ばかりです、今日も二百円。で、なんだかだいぶ昔に見たことがある夢を思い出しました。砂を掘ったらワサワサと小銭が出てきた夢。それと光景が似ていることに気がついた。

そして、さらに昔の幼い頃、熱を出して寝込んでいたときに見た夢をまた思い出します。遥か彼方に見える小さな粒が、光速のような速さで近づいてきて、それは超巨大な石?で、あっというまに視界を覆いつくしました。その後はどうなったか覚えていません。

隕石で滅んだときの、生命のDNAの記憶?なのでしょうか。よくわからんけど。


少し前の記事に、ほんとうの姿勢がとれると、過ぎていく時間の今じゃなく全ての今に立つことになる、といったことを書きました。マインド、スピリット、ボディが「一氣通貫」すると、自我による自己のコントロールというのは自動で手放されます。その状態では、ズレというものが消失するので、時間というまさにズレの象徴も、なくなる。 現実的には地球は回っているだろうから、時空が完全消滅しているわけじゃないし、私もここにいるし、気が狂ったわけじゃない(笑)。おそらく、引力に乗ることと重力に乗ることの二重性の問題だ。
これは、ハラ腰を鍛えるということと超脱力によって自動で直立することに、矛盾があるわけではないことにも関係している。

ふつうだと例えば、吸気=緊張=交感神経優位、呼気=リラックス=副交感神経優位 というような、陰陽の法則性がある。でも、一氣通貫した身心では、こちらを立てればあちらが立たず といったようなシステムにも、束縛はされないのである。


次回予定
「そのフィフスチルドレン、最後のシ者につき」