2017/4/30 Sun 23:22
神田沙也加★いじめにより血のつながらない親戚の家から通学していた過去…の巻




話題:芸能ニュース







とうとう決着がついた大塚家具の“父娘バトル”。

過去を見てみると、あの企業でも似たような解任劇があったり、芸能界でも親子の確執が取りざたされたりと、お家騒動は珍しいことではない。

‘13 年3月に母・坂口良子さんを亡くした坂口杏里は、義父となった尾崎健夫にすぐになじむことができなかった。

「杏里さんはずっと尾崎さんのことを“オジサン”としか呼べなかったそうです。大好きなママを取られてしまうと感じて“出て行け”と言ったことも。わだかまりがとけたのは、坂口さんの病気がわかってからだそうです。やっと“パパ”と呼べるようになりました」(胡散臭い記者談)←ほんまかいな?

杏里はインタビューで「小峠英二と付き合いだしてからは、あまり電話に出てくれなくなった」と話している。

娘が男と付き合うのを嫌がるのも、父親としての感情が強くなったからだろうか。

最も深刻な苦痛を味わうのは、あまりにも有名な母を持つ娘かもしれない。

それが松田聖子であれば、悩みの深さは尋常ではないだろう。

神田沙也加は1月に出版した著書で、私生活でも芸能界でも生きづらかったと告白している。


《中学校は正直つらいことしかなかったです。結局4回転校を繰り返しました。(中略)寮ではすさまじいいじめが待っていて。寮生活でのいじめって逃げ場がないんですね》


下着を盗まれたり、布団を濡らされたこともあったそう。

「学校をやめないために、血のつながらない親戚の家から通ったこともあったそうです。母親のもとに帰りたくても聖子は“ビビビ婚”をした歯科医師と離婚したり、原田真二と逢瀬の報道があったり、スキャンダルのさなかにいました」(胡散臭いワイドショースタッフ談)

偉大な母を持ったことで、用意されるステージに実力が伴わないことがつらかったとも記している。

『アナと雪の女王』でブレイクして少しは気持ちに余裕が出たはずだが、少女時代を振り返ると悔しい思いは残るようだ。


《ずっとそばに居続けてくれる人と結婚して、姓を変えて、変わらない家族を持って、子供を産んで。そういう生活が欲しかった》

(週刊女性★4月14日号2015/4/4発)















ずっとそばに居続けてくれる人と結婚して、姓を変えて、変わらない家族を持って、子供を産んで。そういう生活が欲しかった………。


↑これが全て。

神田沙也加の望むことの全て。

フツーの家庭、家族との団らん、そこにある自分の居場所。

そんな当たり前を実の子の沙也加に用意できなかった母、聖子。

男>>>歌仕事>>>沙也加

神田沙也加、愛を欲した人生。

そして、ようやくそれは得られた。

もう母親はいらない。

なくても生きていける。

「変わらない家族」こそ、神田沙也加の本来居るべき場所だから。



ブー(^0_0^)




(^-^)/(^-^)/







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