2019/9/8 Sun 01:42
ジャニー喜多川社長が新宿2丁目で語ったこと★ジャニー氏は身長が153 cmしかないけど、絡んできた身長2mくらいある黒人数人に喧嘩して勝った!…の巻




話題:芸能ニュース







今月4日、7月に死去したジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏のお別れの会が東京ドームで執り行われた。

所属タレント以外にも、かつてジャニー氏が育てた事務所OBたちも多数参列して、ジャニー氏のカリスマ性と事務所の影響力の大きさを世間に見せつけたかたちになった。

ジャニー氏とは旧知の間柄だった芸能関係者(70代男性)・Aさんが、思い出を語った。

「最後にジャニーさんに会ったのが、今年に入ってすぐだったかな。新宿のグローブ座でばったり。『どう? 最近向こうの街(新宿2丁目)には飲みに行ってるの?』って聞かれて、『しばらくご無沙汰ですよ』って答えたら、『また行きたいねぇ』って懐かしそうな目をしていました。とにかく彼が人の悪口を言ってるのを聞いたことがない。男の中の男でした」←おまえもなんでそこにいるんだよ?(; ̄Д ̄)?

Aさんはジャニー氏としょっちゅう飲み歩く仲だったという。

たのきんトリオが売れ出した1980年代頃のエピソードを、こう懐かしむ。

「ジャニーさんは身長が153 cmしかないんです。上げ底ヒールを履いてようやく160cmくらいになる。六本木で一緒に飲んだ後、ヘロヘロになって歩いていたら、路上で身長2mくらいある黒人数人に絡まれた。僕は急いで逃げたんですが、ジャニーさんは近くに設置されていたドラム缶のゴミ箱を持ち上げて、黒人たちに立ち向かって行ったんです。大乱闘の末、黒人たちはバタバタとやられて道端にダウン。『こんなチビ野郎にやられるなんて! クソ!』と捨て台詞を吐いていました」←なんか押尾学のような武勇伝だぞ!( ̄□ ̄;)!!

そんな男っぽい一面とは裏腹に、少年たちへの気配りは相当なものだったという。

「当時は朝までよくジャニーさんと麻雀をやりました。決まって明け方4〜5時になると、『ハイ! 一時ストップね』と麻雀を中断する。どうしてかというと、合宿所で暮らしている少年たちが学校に持って行くお弁当を、ジャニーさん自らつくるんです。煮物とか唐揚げとか、子供の好物を手際よく用意する。それを弁当箱に詰めて持たせて、学校に送り出す。その後は彼らの洗濯も自ら行っていました。取り違えないように、一人ひとり下着に名前も書いてあげていました。よくやってるなぁと感心しましたね」(同)←下着に名前を書くな、ジジイ!(# ゜Д゜)

青山通りを一本入った路地にある洋食屋や鉄板焼き屋へは、最近まで少年たちを引き連れたジャニーさんが足繁く通っていたという。

一生懸命がんばっている彼らに、食でもてなすのが大好きだったという。

「最近は『中居がさ、肉食べに連れてってくださいよ、って甘えて連絡してきて。可愛いんだよ』って嬉しそうに話していたのが印象に残っています」(同)←中居はカネ持ちのくせにたかるな!(ノ`△´)ノ

そんな少年思いのジャニーさんだが、一人になって思いを巡らす場所があった。

意外なことに、そこは都心にあるファミレス。

親子連れが引き上げた夕方から出没していたという。

「たまたま居合わせると、心の内を露呈してきました。SMAPの解散騒動の時には、『あの3人(草なぎ剛、稲垣吾郎、香取慎吾)は騙されている。きっと何もできやしないだろう』とか、『ジャニーズには30代半ばで芽の出ないアイドルが山ほどいる。彼らのために田舎にネバーランドのような屋敷を建てて、自然教育に取り組みたい』などと本音を語っていました」(同)←マイケルと同じネバーランド!?ヤ、ヤバイ!(´д`|||)

カリスマ亡き今、今後の事務所の行く末が気になるところである。

(ビジネスジャーナル発)














所詮は、ジャニーさんによる美少年色情飼育日記だ。

ビジネスと性欲を同時に満たせる画期的なシステムを作り上げたのだ。

はあはあはあ(; ̄Д ̄)

まるで喜多川パラダイス!ヽ( ̄▽ ̄)ノ

ジャニーさんの人生は、やりたい放題が出来た満足な人生だったのでは?

よかったな、ジャニタレを片っ端から喰えて。(´д`|||)

でも、商品に手を出したやつは、二流なんだけどさ。

そこも追求されなくて何より。( *・ω・)ノ



ブー(^0_0^)



(^-^)/(^-^)/







コメント(0)




back next

[このブログを購読する]



このページのURL

[Topに戻る]

-エムブロ-