2021/1/18 Mon 02:19
幼少期が壮絶な人生だったジャニタレ列伝!…の巻




話題:芸能ニュース







ジャニーズの若手グループの中でもトップクラスの人気を誇り、ポスト嵐とも称されるKing&Prince(キンプリ)。

同グループの中心メンバーである平野紫耀(23)は幼い頃は苦労が多かったという。

平野の実家は、JR名古屋駅から電車で40分ほどの住宅街にある築30年超えの2階建て木造アパート。

両親が幼い頃に離婚したため、平野は母親に代わって弟のために料理を作るなどして家庭を支えてきたと、2020年2月の『女性セブン』(小学館)では伝えている。

「そんな平野ですが、幼いときに大病をして手術を受けた経験もあり、医師からは激しい運動を禁じられていたそうです。その後、体力をつけるためにダンスを始めるとすぐにその才能が開花し、激しい運動も許可されて本格的な練習を始めると、名古屋でも注目を集める存在に。しかし、猛練習の結果、ヒザを故障し、2度目の手術を受けることになってしまったんです。当時から芸能界に入って家計を支えたいと思っていた平野は、“母親に迷惑をかけてしまう”と涙を流したといいます。しかし、そういった苦難を乗り越え、現在ではジャニーズ事務所の次期エースとして期待される存在になっています」(前出の胡散臭い芸能記者談)



プレイヤーとしてだけではなく、なにわ男子をはじめとする関西ジャニーズJr.のプロデューサーとしても活躍する関ジャニ∞の横山裕(39)は、2019年12月放送の『ミュージックステーション ウルトラSUPERLIVE 2019』(テレビ朝日系)で、幼少時代について語っている。

横山は3歳のときに両親が離婚し、5歳のときに母親が再婚したと明かし、義父に突然「今日からお父さんと呼びなさい」と言われ、衝撃を受けたと当時の心境を吐露。

「その後もなかなか“お父さん”と呼べなかった横山は、義父に何度も叱責されたと語っています。さらに義父はだんだんと母親にも暴言を吐くようになり、横山は母の泣き声を耳にしていたと話していました」(胡散臭い女性誌ライター談)

そういった状況から抜け出すために「早く自立して2人の弟を養いたい」という思いが芽生え、中学卒業後に建設会社で働き始め、同時にジャニーズJr.のレッスンにも通うようになる。

しかし、横山をさらなる試練が襲う。

「2010年5月、横山のソロコンサート直前に母親が急逝してしまうんです。2017年1月放送の『A−Studio』(TBS系)で横山は当時の心境について語っています」(前出の胡散臭い女性誌ライター談)

母の訃報を聞いたあとも、横山は「お客さんには楽しんでもらわなきゃ」という思いで気丈に舞台に立ち続けたものの、母親への感謝の思いをつづった楽曲『オニギシ』を歌う際に、「もうお客さんのほう見られなくなって、後ろ向いて“ウワー!”ってパニックみたいになって、涙出てもうて……」と当時を振り返った。

「横山には2人の弟がいますが、母親が亡くなってからは“弟たちが一人前になるまで絶対に俺が面倒を見る”という覚悟で芸能活動を続けたといいます。しかし、6つ下の弟は母親の死のショックから約2年間、記憶喪失になってしまったそうなんです。その後、何度か一緒に旅行に行ったりするうちに記憶が戻ったといいますが、横山の壮絶なエピソードを聞いた笑福亭鶴瓶(69)も“お前、えらい苦労してんなぁ”と驚きを隠せない様子でした。いつも明るく涼やかな表情の横山からは想像がつきませんが、実はジャニーズの中でも、かなり過酷な経験をしているんですよね」(前同)



現在、ジャニーズ事務所副社長を務めるタッキーこと滝沢秀明氏(38)は、芸能界を引退する直前の2018年12月、元SMAPの中居正広(48)がMCを務める『中居正広のキンスマスペシャル』(TBS系)に出演。

「自分の中で封印していた時代なので。この番組で初めてさらします」と、極貧の幼少期について打ち明けている。

東京・八王子で3人兄弟の末っ子として生まれた滝沢氏。

「父親からは子どもながらにわかりやすい愛情を受けた記憶はない」と言い、幼稚園のときに両親が離婚し、父親が出て行ってからは生活が一変。

鉛筆や消しゴムなど、文房具すら買えない極貧生活となってしまったという。

母親は仕事で帰りが遅く、母親を待つ間に兄弟で1つのお菓子を分け合って食事代わりに食べていた時期もあったと明かす。

とにかく当時の生活から抜け出したいと思った滝沢氏は、中学生になったころには「どうやったら子どもでも働けるんだろう」と考えるに至ったという。

滝沢氏はジャニーズやアイドルに憧れがあったわけではなく、ただこの生活を抜け出したいとジャニーズ事務所に応募書類を送付。

無事に書類選考を通過し、ボロボロの服を着てオーディションに臨んだと明かす。

「そこでジャニー喜多川氏と運命の出会いを果たすんです。滝沢氏はジャニー氏について“小さい頃に学ばなきゃいけないことを1から教えてくれた人。どこかで『オヤジ』っていうのはこういう存在なのかな”と語っています。今ではジャニー氏の遺志を引き継ぎ、若手をスターにするため育成に励み、さらにはジャニーズ事務所本体の副社長の上り詰めているわけですから、まさに立身出世と言えるでしょうね。滝沢氏は自身の幼い頃の経験があるからこそ、スターになる夢を抱いてジャニーズに入所する若手をサポートしたいと考えたのかもしれないですね」(前出の胡散臭い女性誌ライター談)


幼い頃、若いときの苦労があったからこそ、ジャニーズアイドルたちはファンに希望や勇気を与え続けることができるのかもしれない。

(日刊大衆発)















何の苦労もなく、ただ単にチヤホヤされたい、ジャニタレになってモテたい、とか考えているやつは、芸能人になってもスキャンダルばかり起こす。

明確な目的を持って芸能人生を生きるべし。

でないと、途中で我を見失い、マッチ先輩みたく「さ迷える老害アイドル崩れ」になってしまう。

あれは悪い見本です。( ̄ー ̄)

ジャニーズ事務所から、年3千万円のメリー年金を貰って悠々自適過ぎるから。

特権を廃止し、地道に働かすべし。

若くして働きたいと思う人もいるんだから、老害アイドル崩れも嬉々として働くべし。

あと、仙台にパンダはやれない。



ブー(^0_0^)



(^-^)/(^-^)/







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