2021/11/26 Fri 02:19
三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げた11月25日…の巻





話題:一般ニュース







1970年11月25日は、昭和の日本を代表する小説家、三島由紀夫が割腹自殺を遂げた日である。

自らの結成した「盾の会」の会員4人(森田必勝含む)を率いて益田兼利総監との面談に臨んだ三島は、その面談中に増田を人質に取って立て籠もる。

そのまま自衛隊員を見下ろしながら憂国の檄文をスピーチしたその直後に、予定通りに割腹自殺した。

短編小説であり自ら映像化もした作品『憂国』で周到に知らしめたこともあり、三島の最期において、切腹は必然の選択だったといえるであろう。

森田は介錯に失敗したものの、他の会員が無事に三島の首を切断。

それを見届けた森田も、その横に首を並べた。

国内の政治関係者は元より、文学界にも大きな衝撃を残したこの事件は、海外でも多くの議論を呼んだが、三島の残した辞世の句には、思うように変わらない日本への憂慮というよりは、自らの死をその意志通りに完結できた喜びの方が強く滲んでいるように思われる。


「益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜」

「散るをいとふ 世にも人にも 先駆けて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」


人の死は、残されたものたちのものであることをまざまざと痛感させるような、文豪の最後の言葉であった。

(覚醒ナックルズ発)



















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