子宮が痛い
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2022/1/2 Sun 12:27
わたしがどうしてヤンデレに魅せられているのか、どうして誰も報われない話を好んで書くのか

誰からも愛されて憧れや賞賛を受け、尊ばれるような極上の存在が、何にも汚されていない綺麗で美しく清らかな存在に心奪われ、欲して拒まれ、それでも更に我欲だけが増して欲して欲して、ついには取り込んで喰らい尽くしてどうにもならならくなってしまうのだけど、それでも清らかな存在は清らかなままで、思うままに壊したつもりがいつの間にか元の形を取り戻して美しく象りを立て直していて、やはりそれにどうにも魅了されて仕方なく、どこをどうしても自分のものにならない、なぜなんだどうしてなんだとつらつら考え、ああそうか、あれとは所詮別々の命だからどう頑張っても自分と同じようにはならないのだと理解して絶望し、でもどこか清々しくもあるという、とち狂った様を表現するのが一種の自分への説法なのだと思います。

なんかこうなんじゃないかな、というのをふと感じた。
だからわたしの書く話はいつまでたってもかなり痛々しいし、あまり万人受けしないし、一部の物好きで愛すべき人たちからとても濃厚な評価をいただけるのでしょう。
わたしの書く話を好きだと仰ってくださる方々は、皆がちょっと、大なり小なりその人生で大変な思いをされてきたんじゃないかな?と勝手に予想してる(笑)。←ごめんなさい。
人生はつらいことも楽しいこともあるけれど、つらいことの比重が楽しいことを少し上回ってきた人たちなんじゃないかな?って。
正解が何か分からなくて、心地いいものの見つけ方がよく分からなくて、淀溜まりを手探りでずっと生きてきたような人たち。
人の痛々しさというものを知っている。優しい人たち。
愛してるぜベイベ(は?)。今年も一年、それなりに生き抜こうな。


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