ある日所用で検事執務室を訪ねると、ぼくを迎え入れた亜双義の頭に猫の耳がついていた。よく来たな、といつもどおりの平静さでそう言った亜双義だが、しかし頭上のそれは小刻みに動いているしなんなら腰のあたりから黒い尻尾がニョロニョロと伸びている。当然ながら頭には大量の疑問符が浮かんだ。「あの。どうしたんだ、それ。アイリスちゃんに貰ったとか?」「いや、人工的な物ではない。生えてきたのだ?」「……うん?」「朝起きるとこうなっていた。耳も尻尾も本当に付いているものだ」
修道院を見回りながら歩いていた夕刻、奥まった廊下にふとディミトリの姿を見つけた。虚空をじっと眺め、何をするでもなく立ち尽くしている。その目は何かをじっと捉えているようにも見えたし何も映していないようにも見えた。「ディミトリ」名前を呼ぶと、少しの間のあとに金色の髪が揺れてその眼差しがこちらへと向く。感情の表れていなかった瞳に温かな色がついた、ように思えた。「先生。何かあったか?」少し見回りを、と告げる。お前は何をしていたんだと尋ねると、彼は口角を少しだけ上げて「少し散歩がしたくてな」と答えた。……笑いかたがどうにもぎこちなく見える。何も言わずにただディミトリを見据える。握り込まれた拳やいつもよりかすかに青白い顔、強ばる肩に気がつかないほど自らの生徒のことに疎いわけではなかった。本当は何があった。視線での問いを受けたディミトリは、困ったように眉を下げ「どうしたんだ、先生」と呟く。だが、しらを切るにはすでに状況が芳しくないことを悟ると、諦めたように細く息を吐いた。俺は嘘がへたになった、と形の良い唇から降参の合図が漏れる。「久々に、父上方が目の前に現れた」
「はは、やっぱりこりゃあいいもんだな。いちばん手軽かつ気が晴れる」自分の腕の下でクロードが笑いながらそう言った。額と首筋には汗が光り、その頬は紅潮している。潤んだ瞳は愉快だという感情を隠そうともせず細められていた。「あんたはどうだ?ちゃんとすっきりしてるかい」「……さあ」「おいおい、自分のことだろ。本当へんなとこで抜けてるなあ」クロードの少し潜んだ笑い声が部屋の中に小さく響く。透き通るような翠色はからかうようにこちらをずっと映していた。
「ねえエーデルちゃん、詩を書いてみてくれないかしら」
「詩を?どうして?」
「貴方に贈られてみたいの」
「……よくわからないのだけど」
「お恥ずかしながら私、詩を書くのが趣味の一つなんです。で、私はよくエーデルちゃんの詩を書くのよ」
「そ、そうなの……?」
「ええ!それでね、ぜひエーデルちゃんにも私の詩を書いてもらいたいと思って」
ドロテアはたまに突飛なことを言うとは思っていたけれど、今回のそれはかなりの突飛さだった。私が彼女へ詩を?
酔っている、この場にいる全員。わかっていることはそれだけだった。今私の首筋を舌でなぞっているのはクロードで、私の頬を手のひらで撫ぜているのがディミトリ、それらを止めまいと後ろから二人の服を引っ張っているのがエーデルガルトだった。三人の表情には普段の聡明さや冷静さはほぼ失われており、自分もまたふわふわと脳が陽気な感覚に陥っていたのですこぶる場は雑然としていた。
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