向島エリアでベッドタウンと称される町、その中でもここは特に閑静な住宅街と言うのが適していると思う。ゼミの先輩である朝倉さんに連れられて、唐突なフィールドワーク。
朝倉さんは都市伝説を専攻にしている。今昔都市伝説。その内容の検証や、流布や変遷の仕方なんかを時代と地域という観点から研究している。あ、ちなみにうちのゼミはイロモノゼミってよく言われるよね。
「ここか」
「ここはどんな」
朝倉さんが立ち止まって確認したのは、何の変哲もない、日当たりのいい下り坂だ。少し肌寒いけど、鳥の声や犬の鳴き声だけが響いているのは悪くない。
「この坂は、見ての通り日当たりがいいよね」
「そうですね」
「でも、1日のうちにほんの数分だけ影になる時間があって。その瞬間に坂の上から下に向かって飛んだり転んだりすると異世界に、ま、並行世界だね、ワープしてしまうとか健康になるとも言われるね」
「落差が激しいですね」
「そこで、宏樹に転んでもらおうと」
「そんな話、国語の教科書にあった気がするんですけど」
何だっけ、坂から転げ落ちると3年寿命が延びるとか縮むとかそんな感じの話、なかったっけ。あれに似たような……とも思ったけど異世界にワープするとか。それもにわかには信じがたい。
坂の下の方から、人の話し声が聞こえてくる。背が高くてスレンダーな若い感じの子と、買い物袋を提げておっとりとした三つ編み。徒歩で買い物に行くくらいだから、近場の住人だろう。親子か、姉妹か。
「この界隈には本来“こちら側”の住人ではない個体も本人たちの意識や記憶とは関係なく暮らしている」
「……というのは?」
「本人たちの知らないうちに世界を行き来していて、それぞれの世界で本来あるべき自分の物語が作られていく。そう考えるのもいいなと思って」
「並行世界だけに、同じ情報を持った個体がいてもおかしくはないですしね。尤も、育ち方が違えば見た目は同じでも性質は変わって来るでしょうけど」
買い物帰りの二人組はどうやら姉妹らしい。すれ違うときに、背の高い方がおっとりした方を姉貴と呼んでいるのが聞こえた。今日のお昼は姉の方が作るあんかけうどんらしい。
「ところで、その話を最初に言った人は、どういう意図で言ったんですか」
「それはわからない。だけど、並行世界なんていうのは強ち眉唾物とも言い切れないとは思ってるよ、俺は」
「……というのは」
「“世界”という物の解釈の仕方なんだろうけどね。俺の見る世界と宏樹の見る世界は実際、全くの別物。同じ人物の目で見ても、ある地点を以て全く違って見えるでしょ」
「つまり、1日の中でも限定された時間を狙って陰日向の下り坂に飛び込むことを、気持ちを変えるきっかけにしようとした、つまり違う世界に飛んだ。朝倉さんの仮説はこうでいいですか」
「さて、どうだろう」
それぞれの個体の認識する世界なのか、それとも世界を認識するそれぞれの存在する空間こそを世界と認識するのか、その定義によっても変わってくる曖昧な仮説。
どちらにしても、この都市伝説と呼ぶにも怪しい噂話は検証しようがない。まだまだ坂に影が伸びる気配は感じられないし、健康になったかなんて、本人の心持ちだけでは判断し難い。
「宏樹、影になったら飛んでよ」
「何で俺が」
「健康になるかもしれない」
「別に飛んでもいいですけど、うどん奢ってくださいよ朝倉さん。被験者に対する報酬で」
end.
++++
長野っちと朝倉さんとかいう青敬のイロモノゼミで学問に励む二人である。朝倉さんはフィールドワーク大好き。
ナノスパ自体が毎年学年ループで微妙に世界が変わって来るので、次辺り何番目の世界になるのやら。8周年だから9番目の世界かしら。
って言うか病み上がりの長野っちに坂から転げろとかいう朝倉さんよwww ちづちゃんが言うようにもし朝倉さんの性格がアレなら健康がどうとかってのは口実で長野っちが転げ落ちるのを見たいだけのヤツやんけ……w