螺旋状に突っ走って死にたいプロフィール
2013/3/24 Sun 16:36
くたばれ偽物


話題:好きな漫画

メインカルチャーは流行化して体制化している

それが悪いとは思わない

流行っているからといって良いわけじゃないし、かといって悪いわけでもないのだ

客観的な視点を持った上で、好みか否かを判断できればいいのである



サブカル好き気取りには腹が立つ

サブカルチャーは反体制的であり、流行には本来左右されないものだ


なのにネットの台頭により、変人気取り、人と違う自分が大好きな偽物どもがこぞってサブカル好きを公言するものだから、「サブカル」が流行してしまっている


例えば秋葉原のオタク文化(アニメ、漫画など)というものはサブカルチャーなのだ

それが今や市場の一旦を担い
「アニメは日本の文化」と文化人とやらが公言して憚らない現状がある

サブカルチャーが主流に食い込んでしまえば、それはもうサブカルチャーではない

サブカルはあくまで好きな人が好きなものであり、流行とは関わりのない狭い世界だけで楽しむ閉鎖的なものだ(その是非は別として)

ネットの発達は「知識を得る」ことを安易にしてしまった

そこに費用や時間をかけたという自負はなく、頭でっかちの知識人気取りが溢れ、建設的ではない批判がネットの海をさ迷う

アニメは次々消費され、知ったかぶった消費者どもは次々と「二次元の嫁」とやらをころころと変える尻軽っぷり


これのどこがサブカルなのか


表面だけをなぞるアホは昔から一定数以上はいた

というより、最初はみんなそうなのだ
そこから篩にかけられる


本当に好きな人間は表面だけでなくさらにさらに掘り進む

ただなんとなく好きな人間は消える


今は違う

浅く広くな人間はひたすらその平行線を行く
薄っぺらい知識だけで楽しむ

それでも大丈夫な世の中になった

ネットがそれを可能にしたんだ

そして狭く深い人間の数は徐々に減る

マイノリティというのは、質ではない
単純に数なのだ

本来「アニメ」自体がマイノリティなのだが、もはやメジャーだ

蓋をあければ二極化

ぺらっぺらの馬鹿とずっしりつまった人

同じアニメ好きだが、平行線で交わることはなく、やがて数で迫害されてしまう


「好き」という言葉自体が軽くなったこの時代に


徒花のごとく咲き誇れ

真のオタク達よ



俺はそんな人達に憧れている

だから突き詰めようと必死さ

もがいて足掻くさ

ジタバタするさ

30、40、50、60
生きれりゃ70越えてまで

よくても100年だ

生きれてそんなもん

よそ見している暇かなんかないでしょ

だからずっとジタバタするんだよ

これは音楽でも美術でも、仕事でもなんでもそうだよ

たとえ趣味でもそうだよ


ただネットで受動的に得られた知識で楽しんでるのはさ効率は良いだろうね

それも一つの楽しみ方

人生は短いからこそ、浅く広くってのも良いんだよ

それを意識していればさ

自分の考えがしっかりある上でその選択なら胸を張ればいいの


何も考えてない奴が、気取るのが尋常なく嫌いなんだよ俺は


あ、最近好きな漫画は

足利アナーキー
です


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