螺旋状に突っ走って死にたいプロフィール
2015/6/20 Sat 07:45
反対の反対は反対で反対


話題:ひとりごと

好きの反対は嫌い、ではなく無関心
と言いますけど

好きの反対は嫌い
なんだと思います

かといって好きの反対が無関心であることが間違っているかと言えば、そうではたいわけで




好きってなんですか?

好きは好きですよね


では関心ってなんですか?

関心はものごとに興味を持ち、気にかけることです
無関心となれば、気にかけないってことになります

好きというものは感情です
無関心と対にするにはなにやら違和感がありませんか?

ではなぜ、好きの反対は無関心という意見があるのか



それは好きになればその対象に関心を持つ、気にかけるとみんな考えているからではないでしょうか

間違ってはいないと思います

事実、好きという言葉には、心がひきつけられること、という意味があります

気にかけるよりも強い表現ですけどね

まあ、ひきつけられているなら、気にもかけてますよねそりゃあ


そして嫌いということは気にかけないことではない
これがポイントです

嫌いでも、気にはかけてはいますからね
気にかけているからこそ、嫌いにもなる、と

つまり、好きだろうが嫌いだろうが、どちらも気にかけているわけですよ
そういう意味では好きも嫌いも同じ

だから、好きの反対は無関心
というわけですね


ちょっと待っていただきたい
これは暴論ではないかね

いやいや断言しすぎでしょ

たしかに「気にかける」という点に限局すれば

関心vs無関心

好き=気にかける
関心=気にかける
好き=関心

好き=関心vs無関心

となります

そして、この場合においては
嫌い≠無関心
嫌い=関心

なので
好き=関心=嫌いvs無関心

となるわけです

ややこしくなってきやがったぞ


だって本来は好きvs嫌いなんですよ?
なんでいけしゃあしゃあと好き側に回ってんだよ

無関心がかわいそうだろ!って話ですよ


あ、いや違った

嫌いが好き側に回ることが限局的だってことが言いたいんですよ

今回の検討すべき主張である「好きの反対は嫌いではなく、無関心だ」というものは


特別な場合のみ、つまり「関心」と「好き」の言葉の定義の共通していると思わられる部分を取り出して、さらに本来は「好き」の対となる「嫌い」と「関心」の対となる「無関心」の不一致を説明した上で、「好き」と「嫌い」が「関心」と共通している部分があるときだってことを示さなきゃならないわけですよ


したり顔で、
好きの反対は嫌いじゃない、無関心なんだよ
とか言ってる場合じゃないんだよ


本来は対であるものを否定するんだぞ
しっかりと限局してることを示さないとダメだろ
ってことになるんですよ


なにこれ、めんどくさい

「好きと嫌いってさ、両方とも物事、人に興味関心があるから、生まれるものでもあるんだよね。だから、好きの反対は無関心とも言えるんじゃないかな」
こんな言い方をするのが妥当では無いでしょうか
こんな折衷案は如何でしょうか

本来は正反対であった2つの言葉が、他の言葉と共通項がある場合、かつその他の言葉と対になるものが、正反対である2つの言葉と対になる場合は
本来正反対であった言葉は同じ意味をなす

みたいことになるんだけど、これって例えば他にどんな場合がありますかね

色々考えるのも楽しいかと


俺はごめんだ!もうめんどくさい!



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