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己の怠惰故の無知と無学はゆくゆくひがみや妬みに姿を変える。

低層を輪廻し続ける妖怪のようなものとなる。

対し、知識や博学は己を守る術となる。

自分を守るために勉学なさい

「他者を知る・世界を知る・自分を知るために読むのが本」

「読書は抽象と具体のキャッチボール」
「本屋さんで本に出会うにはどうすればいいか。それはなにも考えないことだ。ひたすら本屋さんの本棚を眺める。すると本が向こうからやってくる。君が本を見つけるのじゃなくて、本が君を見つけてくれる」

「本を読んだあと、内容を忘れてしまったからといってがっかりすることはない。忘れたら、思い出す楽しみができたと思えばいい」


もはや真実とは「本当のこと」ではなく「大多数の人間が『それが本当である』と認識していること」にすぎない。本来の意味など疾うに失われている。目に見えるものが全てではなく、目を閉じることで気づくこともあるのだ。

ホセ・オルテガ・イ・ガセト


人間を最も根本的に分類すれば 、次の二つのタイプに分けることができる 。

第一は 、自らに多くを求め 、進んで困難と義務を負わんとする人々であり
第二は 、自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々
生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく したがって自己完成への努力をしない人々
つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である


パウロ コエーリョ

人は自分の大切な夢を追求するのがこわいのです。自分はそれに値しないと感じているか、自分はそれを達成できないと感じているからです

傷つくのを恐れることは実際に傷つくよりもつらいものだ

夢を追求している時は、心は決して傷つかない。それは、追及の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ

小説『アルケミスト―夢を旅した少年』
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