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気功とは何か、何をすることなのか・8

【小さなヒントが大きな問題を解決する】

 気功の訓練の中でも重要な柱の一つである「小周天」を体感を伴って出来るようになったのは、僕が気功を習い始めて6、7年が経った後だった。
  それは勿論、僕の感覚が悪いとか不器用だからという理由ではない。
  その当時は、基本になる気の感じ方、意念の意味、意念の向け方などに対して、理論的な説明や技術を伝えられる人がいなかったのである。
  それも、当時の指導者達のせいではなく、気功の訓練に対する理論が構築されていなかった、その段階になかったからだ。
  小周天というのは、気(気感)を尾骨から体の後ろ側で上げていき、頭頂部から額、鼻と下ろし、舌でつないで口あたりから恥骨に向かって下ろし、それを会陰、肛門を通して尾骨に回し、それを繰り返す、つまり、体幹部で気を楕円形に回すという訓練法なのだ。
  それを、当時は、督脉で上げていき、任脉で下ろすという具合に指導されていたのだ。
  それは勿論、間違いではない。
  しかし、鍼灸師として経絡を勉強していた僕にとっては、かえって邪魔になったのだ。
  これは鍼灸の養成学校や経絡学の問題でもあるのだが、経絡を皮膚表面の線で教えているからだ。
  経絡上に存在する経穴(ツボ)は、鍼灸的に見れば小さな一点、まさに針の穴のような小さなポイントに過ぎないのだ。
  だから、その経穴をつなぐ経絡は細い線になってしまう。
  そんな細かな皮膚の感覚を感じなければ気を通すことも小周天もできないということになる。
  そんな風に考えていた訳だから、僕は小周天が出来なかったのだ。
  それを解決する別の発送を教えてくれた人がいた。
  それは、気功の先輩で女医さんだった人だ。
  彼女が何を教えてくれたかと言えば、気功における経絡経穴の考え方だった。
  気功、特に養生気功、保健気功においては東洋医学の理論を基礎においているので、意守法でも貫気法、採気法でもツボの名前を用いている。
  意守湧泉だとか労宮だん中貫気法だとか、命門呼吸とという具合だ。
  しかし、それだと、先ほども書いたが小さな一点や細い線としての理解になってしまう。
  だから体感が難しくなる。
  そこを突破する考え方を彼女は教えてくれたのだ。
  「和気さん、だん中と言ってもね、二つの乳首を結ぶ真ん中の点ではなくてね、そこを中心にした丸く広がった面なのよね。」
  その彼女の言葉が全てを解決してくれたのだ。
  だん中に気のボールを押し当てて「意守だん中」をする場合、経穴としての一点を感じる訳ではなく、面としての皮膚を体感していけばいい訳で、しかも、それは皮膚の内外を含めた立体的な感覚になるのだから、その立体的なボールのような感覚をそのまま上げていくと、顔の中と顔の外とで一つの立体的な空間になるから、そこから、その空間的な感覚を垂直に下腹まで降ろしていけば、顔の形や督脉と任脉をつなぐ舌の感覚や顎の形などといった、僕が苦労していた問題も全て解決したのである。
  このように、難しく感じていた気功の技も、ほんの小さなヒントによって解決することがあるのだ。

気功とは何か、何をすることなのか・7

【意念を開発する】

  気の訓練の最初の取り組みは「意守法」なのだが、この意守法とは何か、どういう訓練法なのかをりかいしておかなければならないだろう。
  気功を習い始めた頃の先生達の表現は、
「意念を向けて意守する」
という感じであった。
  つまり、「丹田に意念を向けて意守しましょう」という具合だ。
  僕は長い間この「意念」の意味を理解できないでいた。
  「意識」と「意念」の違いを明確に出来ていなかったのだ。
 だから、「「意守丹田」という場合に、丹田を意識する」という具合に考えていたのである。
  この「意念」とは何を指し、如何にすれば身につけられるのか、自分の意思で意念を自由に使いこなせるようになるのかという点について考えてみよう。

  まず意識と意念の違いである。
  これをわかりやすくするために、脳の働きを陰陽的に二つの側面から考えてみる。
  一つは外部の情報を得るために働いている機能で、もう一つは内部の情報を得る働きだ。
  これを視覚や聴覚などの、いわゆる五感と運動感覚や内部感覚などの体性感覚として理解する。
  もう一つの理解として、脳の活動状態を表す言葉としてのα波やβ波をも一緒に考えてみる。
  まず、五感を用いて外部の情報を得ようとしたり、それに基づいて思考したりしている場合、脳は活動的に働き、脳波はβ波を指している。
  しかし、練功を積んだ人が気功をしている時は脳波はα波になっていると言う。
  ということは、五感やそれに用いている脳は働かせていないということになるのだが、では、そうする(そうなる)ためにはどうすれば良いのか。

 そこに出て来るのが体性感覚なのだ。
  しかし、私たちは普段、体性感覚を意思をもって体感することはない。
  脳の側から体感しにいくということはしていないのだ。
  どういうことか。
  私たちが歩いている時、脳から歩くのに必要な筋肉に指令を出して筋肉を収縮させている。
  しかし、それだけではない。
  出した指令通りに足が動いているかどうかという情報を脳に贈り、その正確さを確かめながら歩いているのだ。
  だから、階段の昇降も、その段の高さに応じた足の運びが出来るのである。
  しかし、よほど危険な道でない限り、私たちは意思で確認しながら歩いてはいない。
  だから、体性感覚を体感する経験が少ないのだ。
  しかし、この体性感覚に意思を持っていくことによって外部に向けられていた脳の働きは抑制され、脳波はα波になるのだ。
  そして、意守丹田などという訳のわからない作業ではなく、体の動きを体感することは、実際に動いているのだから容易に体感できる。
  そして脳波はβ波からα波に移行していくのだ。
  この取り組みを実践化したものが「体感しながらのスワイショウ」や「すわり金魚」などの「ふぁんそんテクニック」であり、この「意守動き」とも言うべき取り組みが、意念を開発していく最初の取り組みなのである。

気功とは何か、何をすることなのか・6

【腕の中で気が動く感覚】

  気のボールを作る取り組みは、言わば、脳波をα波にし、自律神経を副交感神経優位に導く為の訓練であり、邪気を洗い流すとか気を補うとか、丹田の気を強くするとかと言った気功の本来の取り組みではなく、そのための準備に過ぎない。
  数回の拉気で気のボールが作れるようになっていた僕の次の課題は「腕の中で気を巡らせる練習(腕での貫気法)になっていた。
  この訓練法を教えてくれたのは林茂美先生の姪(だったと思うが)、黄花さんという若い女性と湯偉忠さんだった。
 だだ、それも「こういう風にするんだ」という具合に動きについての頭の中での理解だけで、気が動いているという感覚はなく、結局は自分で感覚をつかむ訓練によって身につけていったのである。
  その訓練というのは、造った気のボールを片手に乗せ、反対の手で気のボールを動かすようにして誘導に用い、手首、前腕、肘、上腕、肩関節、大胸筋、胸板と、それぞれの部分で皮膚から皮下の感覚を体感し、それをつなぐように掌から胸に吸い上げ、胸から掌に吐き降ろすという練習で、それも最初から全部を通すのではなく、掌と肘の間で、肘と肩の間で、掌から肩の間でという具合に短い距離での練習をしながら全ルートに延ばしていったのである。
  その練習を左右の手で行なった後、左掌から胸の中まで吸い入れ、その気を右掌に吐き出し、それを繰り返すことで気を腕の中で回すという練習をした(これを腕周天と言う)。
  その腕周天によって少しなりとも気を巡らせるようになった後、次に練習したのが、そのルートを陰陽に分けて行なう練習だった。
  即ち、掌側と手の甲側に分けての練習だ。
  掌側で言えば、掌、前腕前面、肘窩、上腕二頭筋、肩関節前面、大胸筋、胸板の皮膚や皮下の感覚を用い、手の甲側で言えば、手の甲、前腕後面、肘頭、上腕三頭筋、肩関節後面、肩甲骨、背骨の皮膚と皮下の感覚を用いて練習するのだ。
  腕での貫気、周天の練習の場合、最低はここまですべきだろうと考えている。
  そして、その練習は、鳥の舞のような動きのある功法の時に取り入れて練習することをお奨めする。

気功とは何か、何をすることなのか・6

【腕の中で気が動く感覚】

  気のボールを作る取り組みは、言わば、脳波をα波にし、自律神経を副交感神経優位に導く為の訓練であり、邪気を洗い流すとか気を補うとか、丹田の気を強くするとかと言った気功の本来の取り組みではなく、そのための準備に過ぎない。
  数回の拉気で気のボールが作れるようになっていた僕の次の課題は「腕の中で気を巡らせる練習(腕での貫気法)になっていた。
  この訓練法を教えてくれたのは林茂美先生の姪(だったと思うが)、黄花さんという若い女性と湯偉忠さんだった。
 だだ、それも「こういう風にするんだ」という具合に動きについての頭の中での理解だけで、気が動いているという感覚はなく、結局は自分で感覚をつかむ訓練によって身につけていったのである。
  その訓練というのは、造った気のボールを片手に乗せ、反対の手で気のボールを動かすようにして誘導に用い、手首、前腕、肘、上腕、肩関節、大胸筋、胸板と、それぞれの部分で皮膚から皮下の感覚を体感し、それをつなぐように掌から胸に吸い上げ、胸から掌に吐き降ろすという練習で、それも最初から全部を通すのではなく、掌と肘の間で、肘と肩の間で、掌から肩の間でという具合に短い距離での練習をしながら全ルートに延ばしていったのである。
  その練習を左右の手で行なった後、左掌から胸の中まで吸い入れ、その気を右掌に吐き出し、それを繰り返すことで気を腕の中で回すという練習をした(これを腕周天と言う)。
  その腕周天によって少しなりとも気を巡らせるようになった後、次に練習したのが、そのルートを陰陽に分けて行なう練習だった。
  即ち、掌側と手の甲側に分けての練習だ。
  掌側で言えば、掌、前腕前面、肘窩、上腕二頭筋、肩関節前面、大胸筋、胸板の皮膚や皮下の感覚を用い、手の甲側で言えば、手の甲、前腕後面、肘頭、上腕三頭筋、肩関節後面、肩甲骨、背骨の皮膚と皮下の感覚を用いて練習するのだ。
  腕での貫気、周天の練習の場合、最低はここまですべきだろうと考えている。
  そして、その練習は、鳥の舞のような動きのある功法の時に取り入れて練習することをお奨めする。

気功とは何か、何をすることなのか・5

【気のボールをつくる】

  僕は、器具を用いて脳波をα波にしていく訓練と自分の意思で手足を温かくしていく自律訓練法などによって、掌の気の感覚を体感することや気のボールを作るための基礎を身につけていったのであるが、そのことによって、「気マガジン」に載っていた「気のボールを作る技」の練習に取り組んだ時も、指先から出るレーザー光線のような気の感覚や両手の間に挟んでいる風船のような気のボールの感覚も、映像によるイメージや強い意識の集中ではなく、副交感神経優位に伴う指や掌の感覚の変化の体感として練習して行くことが出来たのだ。
 それでも、数回の拉気(ラーチー)で気のボールを作れるようになるまでには半年近くの時間を要したのだった。

 そして、この気功の訓練としての最初の課題である掌感覚と気のボールをつくる取り組みのための理論とテクニックを獲得するまでには、更に十年を超える時間を要したのだった。
  そこには、α波の脳と副交感神経優位という生理的な変化をもたらし、その状態を体感するための媒介である体性感覚という感覚への気づきが必要だったのだった。
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