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気づきの足跡・4/静功の役割

【気づきの足跡・4/静功の役割】

 「練功には動功と静功の二種類があります」
 師はそうは言ったが、それについて、体を動かすか動かさないかの違いだという説明はしても、それ以上の説明はなかったのだ。
 そんなの、見たままじゃん!
 僕はあらゆることに疑問を持つ。
 疑問を持つから探究する。
 だから、新しい気づきに出逢えるのだ。

 僕は、その答のヒントを「体壁系と内臓系」という肉体の二つの機能に求めてみた。
 僕たちの体は体壁系と内臓系の二つの機能を持っていて、内臓系こそが宇宙のリズムを内蔵していると言う。
 それは気功を習う前に読んだことのある三木某著の「内臓とこころ」という本の中に書かれていたと記憶していた。
 そうか、静功は体壁系である手足や感覚と脳の働きを抑制していくことで、体内に内蔵している宇宙のリズム、即ち、生命のリズムを取り戻していく取り組みなんだ。
 日常生活の中で積み重ねられていくストレスや緊張によって内臓は痛め付けられている。
 それが様々な病気の元にあるとするならば、手足や感覚や脳を用いない静功は、ストレスや緊張によって抑圧されていた内蔵の働きを解放していく取り組みなのだ。
 それが静功なんだと考えるようになったのである。
 一言で言えば、静功は内蔵の復権作業だったので有る。
 では、動功は何の為にあるのか?
 動功と静功は、共に気功である。
 だとすれば、本質的には同じことをしている筈なのだ。
 それは何か?
 僕は更に思考を巡らせていったのである。

気づきの足跡・3

【気づきの足跡・3/気のボールづくり

 気功を習い始めた人の希望の多くが「気を感じたい」、「きのボールが作りたい」など、気の感覚の体感であろうことは疑いのないところであるが、僕も、習い始めの頃は、というより「気のボール」が体感出来るようになるまでは「気のボールを作って感じたい」と強く思い、それは約半年間ほど続いたのだった。
 先輩の中には、例えば、両手を向かい合わせて近づけたり遠ざけたりして「こうするのよ」とか「両手の間に反発感のある丸い空気があるようにイメージすればいいのよ」みたいな感じで教えてくれる人はいたが、左脳人間の僕には殆ど役には立たず、科学的に「気のボールの作り方」について教えてくれる人はいなかったのである。
 スワイショウへの気づきと同じように、気のボールも、意識やイメージではないことに気づくまでかなりの時間を要したのであった。
 気のボール感覚は皮膚の感覚であって、意識やイメージの産物ではない。
 では、皮膚の感覚とは何なのだ?

 そのヒントを与えてくれた実習があった。
 共に中国の気功師の講習だった。
 一人は拍手するように両掌をパンパンパンと強く叩いた後、両掌を上に向けて、掌に現れるじーんとした感覚を味わうものだった。
 もう一人は、片方の手の五本の指先を尖らせるようにして合わせ、それで反対側の掌の真ん中を20回ほど強く叩いた後、叩かれた方の掌を上に向けて、そこに現れるジーンとした痛い感じやズーンとした重たい石が載っているような感覚を体感するものだった。

 その痛いようなジーンとするような感覚は、昔、親父に頬を叩かれた後の感覚と同じだった。
 手や足を何処かにぶつけた時の感覚も同じだろう。

 「この実習は、生理学的に何をしているのだろうか?」
という疑問に対しての僕の結論は、
「掌の皮膚を一度緊張させ、その後に訪れる弛緩の感覚を体感しているのだ!
」というものだった。
 皮膚を緊張させるのに、いちいち手を叩いていたのでは意味がない。
 では、ほかに掌を緊張させる方法はないのか?
 そうだ!
 掌の皮膚を痛いくらいにピーンと張ればいいのではないか?

 そのことに気づいた僕は、直ちにそれを実習してみたのである。
 するとどうだ。
 一度で掌がジーンとして、尚かつ温かな感覚が体感出来たではないか。
 ここが僕の気のボールへの気づきへの出発点だと言えるだろう。

 だだ、その感覚が体性感覚であり、弛緩の感覚は皮膚が副交感神経優になって血管が拡張していく時の感覚だという生理学的な結論に至るには、もう少しの時間を要したのだが、これが、「ふぁんそん掌」を導きだし、「気のボールづくり」への科学としてみなさんに報告できるようになったのである。

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和気の原稿/7月8日分です

タイトル
 気功治療への道案内/六日目

本文

◆陰経と陽経を分ける三つの言葉

 「私、鳥の舞の練習のお蔭で、肺経、心包経、心経の立体的なルートの感覚、少しは解るようになりました!」
と、愚庵に入るなり、佳与は靴も脱がずに早口で言った。
 気の感覚の体感が余程嬉しかったのだろう。
 梅雨の晴れ間と言っても真夏日の暑さの中を歩いてきた二人の娘に、私は麦茶と冷えたトマトを振る舞ってから塾を始めた。
 「前回は手の陰の経絡のルートを勉強しましたので、今回は足の陰のルートを覚えることにしましょうか。」
 すると、茉奈が珍しく口を開いた。
 「先生、経絡の本を見ますと、例えば肺経なら、〔手の太陰肺経〕のように、肺経の前に〔太陰〕という言葉が付いているんですが、これはどういう意味なんですか?」
 そう言って茉奈がノートに目を落とした。
 「それはですね…」
 そう言いながら、私はホワイトボードを取り出し、次のように記した。

前側→太陰→肺経
中側→厥陰→心包経
後側→少陰→心経

 「この太陰や厥陰(けついん)、少陰という言葉は、起立した姿勢で、手の陰側、つまり掌側を縦に三つに分け、前の親指側から太陰、厥陰、少陰と名付けていて、どの場所を通っているかを示している経絡学の言葉なんですね。」
 「つまり、手の太陰肺経というのは、手の陰側の前側をを通っている経絡で肺臓と関係している経絡だという意味なんですか?」
と、茉奈がは言った。
 「そうです。
 太陰と聞けば、あゝ、この辺りを巡っているんだなぁということが判る訳で、それが判るようになると良いですね。」
 (「すると、先生!」
 今度は佳与だ。
 「掌側を三つに分けた言葉がある訳ですから、手の甲側も三つに分けられた言葉があるんですよね?」
 「陰陽として対になっていますので、ややこしいですが、いま覚えておきましょうか。」
 私は再びホワイトボードにをに次のように記した。

●手の経絡
*太陰肺経=陽明大腸経
*厥陰心包経=少陽三焦経
*少陰心経=太陽小腸経


 「先ほどと同じように起立した姿勢で手の甲側を前から陽明、少陽、太陽と名付けています。」
 「知らない街に行って、通りの名前を覚えるみたいな感じですね。」
と、茉奈が言うと、佳与が、
「京都みたいに、一条、二条、三条ってしてくれていれば覚えなくても済むのにね。」
と言って笑った。
 「漢字文化が育った中国の漢の時代あたりに造られた言葉ですから、意味はそれなりにあるんでしょうね。」
と、茉奈が呟くように言った。


◆足の経絡

 「それはまた別の時の研究課題として、次に、足の陰の経絡の名前とルートを覚えましょう。」
 私は、そう言って、ホワイトボードに次のように記した。

太陰→脾経
厥陰→肝経
少陰→腎経


 「足の場合は、足の前側の脛(すね)の骨の出っ張りのラインと、足の真後ろのアキレス腱のラインで足を縦に二つに分けて、内くるぶし側の面を陰、外くるぶし側を陽と考えて下さい。」 
 私が言うと、佳与は片足を前に伸ばして、
「こんな感じですか?」
と言って、手で足の陰側を縦に三つに分けて撫でた。
 「足も、陽側は、前から陽明、少陽、太陽の順なんですよね?
 その経絡名も教えて下さいませんか。」
と、茉奈が言うので、私はまたホワイトボードを使った。

●足の経絡
*太陰脾経=陽明胃経
*厥陰肝経=少陽胆経
*少陰腎経=太陽膀胱経


 「今日は頭が痛くなるほど色んな言葉や関係を教えて頂きましたので、今日は帰ったら、整理してノートを作ります!」
 佳与が真面目な顔で片手を挙げて宣言したので、私と茉奈は顔を見合わせて笑った。

気づきの足跡・2

【気づきの足跡・2/蝶の羽ばたき・羽回しとすわりイルカ

 僕が気功を習い始めた頃、時々ではあるが、その教室に顔を出す女性がいた。
 どうも師の友人のようであった。
 彼女は教室に来るなり、マットの上に坐り、体をくねくね動かすのを常としていた。
 彼女自身は気持ちよさそうなのだが、蛇など、くねくねするものが苦手な僕は、彼女に冷たい目を向けていた。

 ある時、彼女に誘われて別の集まりに参加した。
 仲間同士での勉強会で、そこで初めて「禅密功」という気功を体験した。
 脊椎を下から上へ、上から下へと、順に揺らしていく功法だった。
 その揺らし方は、前後、左右、回転、捻りの四種類だった。
 全体的に波の様に揺れている人もいれば、その部分だけを動かしている人もいた。
 僕は、勿論、体は硬く、何処を動かしても、硬い体のままメトロノームのように直線のままで動いていた。

 どうしたらあんな風に動かせるのだろうか?
 「動かすんじゃなく、揺れればいいのよ」
と彼女は言うが、揺らしても同じことで、上半身は棒状のまま揺れる。
 それを探究するのが僕の課題になった。

 ある日、家の近くの公園で小学校低学年の女史が縄跳びをしていた。
 それを何気なく見ていた僕は、ハッとしたのだ。
 そして、その場で試してみたのだ。

 彼女は縄を後ろから回す時、若干体を反らせ、そこから腕を大きく回して縄を上から前に回して、ピョンと跳び、それを繰り返していた。
 僕は、僕の胸板を少女の胴体、僕の大胸筋を彼女の腕とし、僕の肩に縄跳びの縄を持っている漢字で彼女と同じように体を動かしてみたのである。
 肩を回す時、胸板を支店にして大胸筋で回してみたのだ。
 それまでは、肩を回すと言えば、肩関節自体を回していたのだが、大胸筋を回せば、独りでに肩は回るではないか。
 しかも胸板から動いているのだ。
 それを繰り返しているうちに、あることに気がついた。
 胸板を少し前後に動かして、胸板から前に出る時に揺れている大胸筋の方向を少し上に向けてみるだけで、大胸筋は胸板を支店にして回っているではないか!
 そうか、揺れるというのはこういうことなんだ!
 揺らすのではなく、揺れるのだ。

 そして、それからは揺らされる感覚を大切にして、大胸筋を前後に揺らしたり回したりして楽しむ日々が続いた。
 やがて、縄跳びの上手い人が腕を回さずに、手首だけで跳んでいるように、胸板の部分だけを回して、大胸筋を揺らせるようにもなっていった。
 そして、肩が回るという点で言えば、背骨を支店にして肩甲骨間部の筋肉を揺らしても同じことだと判り、感覚を背中に持って行って試してみたのである。
 その時、体に今までにない感覚が現れたのだ。
 背骨が波のように揺れているではないか!
 そうか、胸板や肩甲骨の下の辺りを前後に動かすだけで、大胸筋も肩甲骨も独りでにゆれ、背骨も波打つように動くのだ。

 その体感を味わってからの僕の気功は飛躍的に進化したのである。

 これが、ふぁんそんテクニックの「蝶の羽ばたき・羽回し」と「すわりイルカ」の始まりである。

気づきの足跡・1

【気づきの足跡・1/体感しながらのスワイショウ】6月26日

 僕の気功は、講師になったことで深まったと言っても過言ではない。
 講師の仕事は技や理論の中身を生徒さんに解るように、解りやすく伝えねばならないからだ。

 僕がしている腕の動かし方一つ、背骨の揺らし方一つ、気のボールの作り方一つなどのどれをとっても、教えてくれる師があった訳では無いし、どこかの本に書いていた訳でも無い。
 言ってみればオリジナルなのだ。

 その工夫の跡をお伝えしよう。

1、体感(内観)しながらのスワイショウ

 「ではスワイショウから始めましょう!」
 授業が始まると、師はこう言って腕を振り始める。
 僕も真似をして腕を振る。
 師はそれに引き続いてこう言う。
 「では、今日は七百回振って下さい。」
 僕は頭の中で数を数えながら腕を振る。
 百回になると指を一本折って、百単位で振っていった。

 スワイショウとはそういうものだと思っていた。

 しかし、ある時、一つの疑問が浮かんできた。
 別のところで師は言う。
 「気功をしていると脳波はα波になります。」
 「入静のない気功は気功ではありません。」

 物事を論理的に考え、納得できないと動けない左脳人間の僕にとっては、数を数えながらのスワイショウとα波の脳や入静の状態とは相容れない、どちらかと言えば矛盾するものだったのだ。

 どうすれば入静し、脳波をα波にしていくスワイショウになるのだろうか。

 そして、有る時、その問題を解決する「気づき」に出逢ったのだ。

 僕は喫茶店を目指して街を歩いていた。
 手には何も持ってはいない。
 何だか腕が軽い。
 そして、ハッと気づいたのだ。
 腕は振っては居ないのに揺れているではないか!
 腕は独りでに動いているのだ。
 そして、僕は歩きながら、腕が揺れているのを感じてみた。
 腕の付け根、肩関節の中の腕の付け根の揺れを漢字ながら歩いたのだ。
 そして、僕はそれまでに感じたことのない感覚を体感したのである。

 これが入静ということだろうか?

 そして僕は家に帰り、数を数えることなく、腕の付け根の動きだけを体感しながらスワイショウをしてみたのだ。
 そして、脳がリラックスし、手足の先がぼぁーっと温かくなる感覚を味わったのである。

 気功をする為には気功が出来る脳と体を作らねばならない。
 授業の最初にスワイショウをする本当の意味はここにあるのだ。
 僕はそう確信したのである。 
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