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《ふぁんそん気功》という言葉の意味は?

【《ふぁんそん気功》という言葉の意味は?】9月26日

 僕(和気信一郎)がお伝えしようとしている気功を《ふぁんそん気功》と呼ぶことにしました。
 勿論、そういう名前の気功が伝統的にある訳ではありませんが、僕は、あえて《ふぁんそん気功》と呼ぶことにしたんです。
 ご存じのように、気功には外気功と内気功があり、僕がお伝えしている気功は、自らの取り組みによって水からの健康の回復、維持、増進を図ることを目的としている内気功です。
 ところが、その内気功を伝えている先生方の内容や状況を見ていると、幾つかの問題点が浮かび上がってくるんです。
 どんな問題化と言いますと、次のような感じです。

1、運動法の域を出ないもの。

2、功法の形や動きを覚えることを目的にしているもの。

3、法話のように精神修養や生き方を説くことを主たる目的にしているもの。

4、一般人には気が見えないことをいいことに、気を神秘的に扱っているもの。

5、自分の金銭欲のために(主たる目的がそれで)気功をエサにしているもの(儲かれば、気功でなく、ヨガでも瞑想でも何でもよい)と思われるもの 。

 だいたいこんな感じでしょうか。

 気功というものは、気の訓練を主とした心身の健康法です。
 そして、気功が他のものと区別されるためには、気功の基本と原則を押さえておかねばならず、そこを無視していては気功にはならないんです。
 それが何かと言いますと、

1、脳と体を「ふぁんそん」させて練習すること。

2、気の感覚を体感しながら練習すること。

3、常に入静状態と入静の境地を追求しながら練習すること。

4、常に、調身、調心、調息の三要素を忘れることなく、それらを統一させながら練習すること。
などと言ったところでしょう。

 これらの基本と原則を蔑ろにした、体操のように体を動かすだけだったり、精神論だけでいこうとしたり、金儲けの手段につかったりしているものを見ていて、それらとは違う「気功の基本と原則」に則った気功であることを明確にするために、僕(和気信一郎)は、僕がお伝えしている気功を、あえて《ふぁんそん気功》と名乗ることにしたんです。

 このことをご理解して頂き、本来の気功である《ふぁんそん気功》を普及するためにご協力をお願い致します。

和気信一郎
09019816957
kikounonakama@yahoo.co.jp

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《ふぁんそん気功研究会》のFacebookページ

https://facebook.com/groups/2253252338137080?_rdr

《ふぁんそん気功》についての気づきと考察

https://facebook.com/groups/407566973292972?_rdr

学び伝える

【学び伝えるということ】

 先日、ある気功の教室において訊ねられました。
 「気功の先生になるにはどれくらいの年月がかかりますか?」
 僕は嬉しく思いました。
 理由を訊ねると、自分の治療(鍼灸治療)だけではなく、患者さんにも気功をしてもらって、自分から元気になることをしてもらいたいということでした。
 彼女は鍼灸師という立場があるからそんなことを思ったのでしょうが、そんな発想をする人は少ないんですね。
 大抵の人は、何を学んでも、それは「自分のため」であって、学んだことを他の人に伝えるなんて発想は余り持たないんですね。

 僕の場合、自分が身につけた技術も理論も、勿論、感動も、他の人に伝えることが楽しいというか、性格というか、とにかく「独り占め」にするのはイヤなんですね。
 気の感覚の心地良さは、みんなに体感してもらいたいし、体感するためにはどうすれば良いかといった理論や技も伝えたくなるんです。
 だから、自分が感動した癒しのスポットにも案内したいし、青空気功も高野山合宿もしたいんですよね。

 この、「自分だけが満足出来ればよい」という「独り占め思想」から「みんなにも体感してもらいたい」という「ひろがりの思想」こそが「ふぁんそん」の思想で有り、その思いの発展が、自分の人間的な成長としても必要なことなんだろうと思いますね。

気功塾/気功講習会について

気功塾/気功講習会について

 来年から「気功研究会」を作ることにし、活動として、これまで通りの「気功の学校」と「ふぁんそん教室」は続けていくんですが、問題は、「気功塾/指導員養成講座」から「気功塾/気功講習会」への移行と、その内容についてです。
 毎月、会員さん向けに講習のテーマを発表し、参加者を募ることにしようと思います。  開催は、第4日曜日で、その時までに、次回の内容をお知らせするチラシを作ることにします。

 当面の3ヶ月は「養生気功フルヴァージョン」を深めるないようにします。

◆10月
 「樹木の呼吸」と「養生気功フルヴァージョン」の実習

◆11月
 「自由太極功(奇のボール遊び)」と「養生気功フルヴァージョン」の実習

◆12月 
 「経穴採気功」と「養生気功フルヴァージョン」の実習

 参加費は、毎回、一回毎に1,000円(非会員は2,000円)とします。

●気功塾/気功講習会/毎月第4日曜日13時半〜16時/名古屋市市政資料館/受講料(2,000円)/09019816957/kikounonakama@yahoo.co.jp

新しい課題

【新しい課題】
9月14日

 意守と禅の関係、入静の状態、境地と「非想非非想処」、三昧の境地の関係、放鬆(ふぁんそん)の広がりと空の関係などを気功の立場から探究して行くに当たって必要なもの、それは体感である。

 理論で理解できたものは感覚として体感し得る。
 体感によってのみ、その状態が把握でき、その境地が実感出来るのだ。
 だからこそ、その体感を誘導し得る形や動きが必要な訳で、そこが探究の課題なのだ。

 僕は、放鬆法も意守法も、貫気法も採気法も、周天、練丹法も、すべて体感を通して練習法としての功法(作品)を創作して来たのだ。
 そして、いま、新しい気功の課題に挑戦しようとしているのだ。

【ふぁんそんの広がりの体感を!】9月12日

【ふぁんそんの広がりの体感を!】9月12日

 「ふぁんそん」のない気功は気功とは呼べない。
 ふぁんそんこそが気功の命なのだ。
 「ふぁんそん」は「放鬆」と書く。
 「鬆」は空洞のことで有り、私たちは、それを空洞感として体感する。
 空洞感は体内だけの話ではない。
 「放」の如く、即ち四方八方に放散していくように、皮膚を越えて本当の空間へと広がっていく。
 皮膚のバリアがなくなり、体感が皮膚を越えて外に広がるのだ。
 気に包まれている訳ではない。
 皮膚の感覚が薄れ、やがて消えていくのだから、自分の体の形が判らなくなり、空と溶け合った一体感なのだ。
 しかし、丹田感覚はなくならない。
 睡蓮の花の上に大きな空気や光のボールがふわっと乗っているように、組んだ坐の上は空気的なボールの感覚なのであり、その底の中心は温かい感覚である。。
 こういった丹田と空の感覚によって、私たちは、般若心経にある「照見五蘊皆空」を気功的な感覚として体感し得るだろうし、それこそが「ふぁんそん」の広がりなのである。
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